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子どもに会えない父親と、“親子交流”

共同親権法案が可決された。
喜んでいる人など、いるのだろうか。
それはいったいどんな人なのだろうか。
置き去りにされていることばかりだと思う。
私はこの法案にはっきりとNoの立場だけれど、単に推進派、反対派との二元論では納まらないとも感じている。

知り合いの家庭の話を書く。
離婚当初は、別れても親として一緒に子どもを育てていくのだと聞いた。
当時、何組かの家族でバーベキューをした後に、彼ら元夫婦が、子どもを挟んで話しながら帰る姿を見た。
駐車場からは別々に帰宅したそうだけど。
私は、夫との不毛な係争が数年間にわたり、自然な会話など既にできなくなっていた。
だから、両親が穏やかに会話する姿を見るだけでも、子どもは安心できるのではと、知り合いを羨ましく思った。

ところが今、その父は子どもとは全く会えないまま、もう数年が経っている。
きっかけは母の再婚話で
父は、母から、父親が二人になっては子どもが混乱するのでもう会わないで欲しいと頭を下げられたそうだ。
私は、その要求に驚くと同時に、なぜ彼は会わないことを受け入れたのかと疑問だった。
話し合いが難しいのなら、面会交流の調停はしないのかと訊ねると、彼は、俺は子どもを巻き込んで争いたくないからね、と言った。
私は、おこがましいけれどと前置きして、離婚後もお父さんと会うのは子どもの権利なんだよ、大人の気持ちだけで会わないなどと決めないで欲しい、あなたも諦めないで欲しい、なんてことも、彼に言った。
彼は静かに聞いていたけれど、元妻とは関わりたくないし、子どもが成長して彼に会いたくなる時を待つ、と言った。
彼なりのやり方で経済的にも子どもを守っていく、とも。
子どもを争いに巻き込んでおきながら何を偉そうにと、彼は私に思っていたのかもしれない。
家庭内の、人からは見えない部分も、たくさんあったのだとも思う。
彼らの子が、父について話してくれたこともあったが、内容はここでは控えておく。
ただ、会いたいんだなあ、、、!と苦しくなった。

会いたくても会えない
しかし法で裁かれたり、これ以上争うなどまっぴらだし、ましてやリーガルハラスメントになどに走らない、こんな父もいることを知った。
どんな型であろうと、両親それぞれが子どもの心を守ろうと選んだ道なのだろう。

一方我が家だが、
元夫は数年間、親権争いのみならず、数多の係争に子どもを巻き込んで来たが、
係争最中でも、幼かった子どもが元夫と遊びたいと言えば私は会わせて来た。
元夫からの身体的な暴力は無かったことと、夫の精神状態が安定している(ように見える)時に限ったが。
なぜ、会わせるのか。
何人かの人が私に訊いた。
確かに、子どもの希望に任せるということは、子どもに決定権を持たせ責任を負わせているということでもある。
迷いながらも会わせていたのは、監護者、親権者を定めるにあたり、家裁からの面会交流の勧めがあったこと、
また子どもの意志でもあり、
それは子どもの権利だからだ。

係争から数年後の今、子どもは習い事や友達との約束で忙しくなり、用事がなければ元夫と屈託なく遊びに出掛ける。
元夫はそれでも一貫して、一緒に暮らせないことは“お母さんのわがままのせい、警察や弁護士や裁判官のせいなんだ”と言って憚らないそうで、
子どもは“また言ってだけどスルーしたわ”と言う。
時には“お父さん、悪口ばかり言うから嫌だ”としばらく会いに行かなくなる時も。
父子を会わせて来たことが正しかったのか、子どもの気持ちを守れたのか。
我が家の“親子交流”については、改めて書き出してみようと思っている。

個人情報に触れないように、少しだけフェイクも混ぜています。






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