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昭和あるある思い出話

私がミドル世代なのはちょいちょい書いている。昭和→平成→令和と生きてきて、本当に豊かさなどの物質的な事から精神的な価値観まで変わってきたと強く感じる。

今、「不適切にもほどがある」というクドカン脚本のドラマがヒットしているが、あれは昭和後期と令和の時代の移り変わりを上手く面白おかしく対比させている(注:私自身は観てはいません。すみません) 懐かしいと思う昭和&平成初期生まれの視聴者と昭和平成レトロを都市伝説のように面白がっているZ世代にウケているんだとは思う。

余談になるが、昨日、職場で私と同じ年代のパートさんが、「〇〇でーす」みたいなワードを連呼していたら、40代後半と思われる男性社員さんが「マッチでーす」とかまして、その場にいた40代以上の従業員は笑って反応していたが、20代の女性社員さんは「何のこと?」とポカーンとしていた。こんなジェネレーションギャップはどこの職場にでもあるんだろう。

今回はネットで見掛けた「昭和あるある」のワードを元に実際の思い出話を記そうと思う。


昭和あるある(学校編)

 ●小学校女子生徒は体育の授業はブルマ
クソ寒い真冬だろうが、体操着は上着は半袖で女子はブルマ。激しく動くと紺色のブルマから白い下着がはみ出して「ハミパンしてるよ」と友達からこっそり言われた事も良い思い出……にはならない。本当にブルマは意味不明だった。

当時の女子が自ら「男性の性の対象」として見られるのが嫌と声を上げて徐々にブルマが廃止になったらしい。廃止になってから生まれたかった。

今ではブルマが正にコスプレ衣装として男性の性の対象として扱われている。そんなもんを日常的に身に付けて体育の授業をしていたこっちの身にもなれと叫びたい。

先生に叩かれたりしても問題にならない
むしろ多少の体罰は当たり前だった。殴られても悪い事をした児童が悪いという「しつけ」だった。

今でも強烈に覚えているのが、中学時代に女性の先生で、毎回授業開始のチャイムが鳴り終わるまでに着席していなかった生徒を前に出して、平手打ちにした。その結果、意地悪な生徒がいじめられている生徒をわざと着席させないように妨害したりとか、今では炎上案件だろうが、当時はSNSどころか携帯すらない時代。こんな事が問題にすらならずにまかり通っていた(超実話)


プリントといえばわら半紙
ザラザラした紙質でテスト用紙や家庭に配るプリントなどもわら半紙が多かった。消しゴムで力を入れて消すとすぐに破れるやわな紙で取り扱いには注意しないとならない。

ゴミは焼却炉に捨てにいく
今の学校は焼却炉もなくてゴミはまとめて可燃物の日にでも出すんだろうか。地味に面倒臭い。

そういえば、ダイオキシン問題が起こる前は家の庭でも焚き火が出来たので、枯葉を集めてアルミホイルでさつまいもを包んで入れて焼いた焼き芋がめちゃくちゃ美味しかった。

クラスメイトの電話番号が書かれた緊急連絡網
これもわら半紙で作られて各家庭に配られていた。当時は携帯もなかったので、家電で緊急時に連絡出来るようにと作られていた。

台風やインフルエンザとかで休校になったりする時に回されていたと思われるが、私はまだ子供だったので(回していたのは親なので)あまり記憶がない。

学校緊急連絡網 イメージ図

給食は完食出来るまで永遠に食べさせられる
小学校時代の悪夢。私は偏食だったので掃除の時間まで残された。掃き掃除をするのに机を動かされて一緒に動いた記憶が鮮明に思い出される(それでも子供時代には偏食は直らなかった)

運動会当日の朝は花火で開催を知らせる
これに関しては令和の今でも行っている。ただし、学校の運動会ではなく地域のイベントかもしれない。

昭和あるある(その他編)

電車内でタバコが吸えた
昔の中距離路線では灰皿が設置されていた。駅のホームでも普通に吸えたが、それが喫煙スペースが設置されて、いつからかホームでは喫煙完全禁止になった。

新幹線でも禁煙車両と喫煙車両に分かれていた。もっと言うとレストランでも喫煙席と禁煙席に分かれていた。

ホテルでは今でも喫煙ルームと禁煙ルームに分かれているが、そのうち全面禁止になるんだろうか。

●ゴールデンタイムに女性の裸
あったあった。昔のテレビにコンプラ概念なんてなかったからやりたい放題。

「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」なんて、土曜日の20時とゴールデンタイムだったのに、コントコーナーで大量の女性が裸で逃げ惑うシーンとか出てきたりとか。ポロリどころの話ではなかった。

ただ、子供心にも下劣だと思っていたが、別にそれ以上でもそれ以下でもなかった。それに当時はSNSもなかったから炎上拡散なんてせずに、世間の声をマスコミ側が気を使うなんてほとんどなかったと思う (世間の声が広まりにくいから)

ボウリングのスコアが手書き
私の親世代が正にボーリングブームの真っ只中に青春時代を送っていたのでスコア計算が出来た。私が中学生くらい(多分)にはもうスコアが機械で自動計算が当たり前になったので、私もスコア計算は出来ない。ボーリングのスコア計算って地味に面倒臭い。

待ち合わせに失敗したら駅の伝言板にメッセージを残す
私が20代前半くらいまで駅の伝言板は活躍していた。定期の忘れ物とかも駅の黒板に書かれていた。

携帯のない時代の待ち合わせは本当に大変だった。家電も誰が出るか分からないので恐怖だった。だから、私は彼氏からの電話を親が出るのが嫌で私専用の家電回線を引いた(マジで)

最後に

私的には、不便な昭和時代に戻りたいとはあまり思わないのを前提として。

昭和、平成、令和と生きてきて思うことは、世間の意識や価値観が劇的に変わったのはインターネットの存在が大きいと思う。

昔は「人の噂も七十五日」とか「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とか、とにかく美談も醜聞も人の記憶力に頼る事が多かったが、今はSNSの普及で「デジタルタトゥー」で人の記憶力がなくても後世までに美談や醜聞が残る時代になってしまった。

情報が溢れる世の中で人の行いが常に監視拡散されていて、息苦しいと感じる。洗練潔白でないと許されない風潮もある (特に著名人) 

最近では多様性といいながら、コンプラに縛られすぎている。もちろん、人を差別してはいけないとは思うが、その意識が過剰になり過ぎて、逆にほんの些細な事でも見ず知らずの他人を攻撃するようになっている(過剰な正義感)。人が人を傷付けない為にあるコンプラが人を傷付ける原因になっているのは本末転倒だと思う。

常に人に対して思いやりを持ちながら、もう少し人の心に余裕が出来て、きちんと正すところは正して、許すところは許すという良い意味で寛容な世の中になって欲しいと願う。

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