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神社で久しぶりにお願い事をした話

よく行く散歩コースの中に神社がある。
由緒正しいそこそこ大きな神社。
なんでも霊験あらたからしい。
個人的には、神社に行く行かないはどちらでもいいと思っているけれど、
その神社は気分がよくなるので時々行っている。
そして、願い事ではなく「ありがとうございます」とお礼を言ってお参りをする。

いつだったか、ある人から「神社の神様はお願い事ばかりで疲れているからむしろパワーをこちらから送るくらいでいくといいよ」と聞いてからそうしている。
そういえば、お正月は「これ叶えてあれ叶えて」という人々のパワーが渦巻いていて、人混みの多さも相まって疲れているので、初詣にはもう長い間行っていない。
その代わりに年末には一年のお礼参りをするのが毎年の私の習慣。

そんな私が例外的にお願い事を2回したことがある。
一度は家を探していて、コーポラティブハウスの土地が希望の住所に出てほしいなと思ったときだった。
その住所はその神社の氏子になる場所だったので、「もしご縁があったらお願いします」と。
有難いことにちゃんと思いは通じた。
神社の評判は伊達じゃない。

そしてもう一回。
神社である絵馬が目に留まった。
ひとさまのものだし、見られることが前提のものとはいえ大っぴらには書けないので、私なりの言葉にすると、

「お友達ができますように。努力するので見守っていてください」というものだった。
神様にこうしてください、ああしてください、と書くのが絵馬だと私は思っていたし、実際そういうものが多い。
そんな中で「見守っていてほしい」と書いてあることになんだか心を打たれてしまったのだ。
友だちがほしいという切なる願い。
自分もできる限りのことをするから、見守ってほしいという願い。

私も神様に手を合わせて「どうか彼女の願いを聞き入れてあげてください。そしてお友達ができますように」とお祈りをした。
奇跡的に希望のタイミングで希望の住所の土地が出たのだもの、きっと神様はあの女の子の願いを叶えてくれるはず。
会ったこともない大人がひとり、その子の願いが叶うようにと手を合わせていることも目に見えないパワーとなってその子に届くといいなと思いつつ。

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