最近の課題から思うこと

こんにちは

暖かくなってきましてミラノももう春です🌸

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こちらは第3波のロックダウン中ということで

毎日のんびりしすぎているくらいのんびり過ごしています


ロックダウンと言っても1年前とは比べものにならないほどマシなので、

散歩もできるし、公園にも行けるし、

たまに撮影の仕事して

ごはん作って、お酒飲んで、

憧れてたスローライフってこんな感じか?と思ったりもする

(もちろんマスクなしで海沿いを望むし、お金の心配はとりあえず置いておこう)


そんな中でいろいろ考えることはたくさんあり、

むしろ時間があるから考えすぎてしまうのかもしれないけど

ちょっと前から課題にしてることがあり

それに通じたことが、最近たまたま何人かのお友達から相談というかメッセージをしてる中で感じたことがあるのでその話を


自分が最近課題にしてること、というのは

“ちょっとテンション上げて愛想良くいること”


というのが、何も常愛想悪くしているのではないんだけども

また言葉の話になってしまうけど

イタリア語や英語、その他母国語じゃない言葉を聞いたり話すときって

かなり脳みそ動かさないといけないほどわたしはまだまだで

だからとっても疲れるのです

だから仕事の休憩の例えばランチタイムとか、雑談の時間になると

無意識に耳を閉じてしまっていることがよくあり、

来たばかりのときなんてもっと今よりも他のことや何やらでたくさん疲れてたからより閉じてしまってて

でもその時間が自分には必要でバランス取ってると思っていて

もちろん人それぞれでガンガン追い込んでいける人もいるだろうし、自分みたいにちょっと閉じてしまう人もいるだろう


ある時こちらでアシスタントをした巨匠みたいなイタリア人にも

言葉が少し上達したら、次は愛想良く現場にいること

と言われて考えさせられたことがあった


きっとそれは無意識に耳を塞いでひとりでいたり、あまり話さないことでの見られ方が問題だと思っていて

全部言葉のせいにしていた


2月に2周年in Milanを迎えてからは、

今なら可能かもしれない次のステップへの課題

として、もう少し閉じてた扉を開けていこう

と思い、少しずつトライしてみている


聞くのはまだいいけど、パッと口に出すのがとても難しい

簡単な相槌やジョークなんて言えたらきっと今の悩みなんてチョロいもんだと思えそう

母国語以外のとこで生活してる人はみんな少なからずそうなのかな?


でも最近気づいたのは言葉のせいももちろんあるけど、

喋らなくても黙々やってしまうしひとりにも慣れている

そして一番は、言わなくてもわかるでしょ

っていう自分の性格と日本人の性質

ということも問題なのかもしれないと。


イタリア人はとくにお喋りが大好きで、感情表現もオーバーなくらいする

正直黙って欲しい、と思うこともよくある

独り言のようなことさえいちいち言うし、

仕事中でも電車の中でも道で知らない人とでもおしゃべりが多い

自分はその文化が最初とてもめんどくさいと感じて

しゃべってないでさっさと終わらせたら早く帰れるのに!

とか

待ってるんだからしゃべってないで早くしろよ!

とか


こういうのってこなすことが得意な日本人からしたらかなり鬱陶しいことだと感じる


まぁでも今も多少思うことはあるけどだいぶ慣れたし、その良さも少しは理解できる

コミュニケーションの大事さというのは

本当にミラノに来てからたくさん学んでるんじゃないかと思う

感情表現をあまりしない日本人

さらに自分はもともとそれが不得意で良く壁にぶち当たっては悩んで、時には大泣きすることもありながらその悩みと生きてきた

書いていたら思い出したけど、中学高校のときにもやはりキャピキャピしている友達の横で自分はなぜかそうできず、

そんな自分がすごく嫌だった


もちろんおしゃべりが好きな日本人もたくさんいると思うけど、

イタリア人は比にならない


日本人はおとなしいとよく言われるけど

小さい頃から人の言うことを聞くとか、従うってことについてはとても教育されていて

自分の意見を言う、アピールすることはあんまり良しとはされていない

みんなと一緒の意見が良しとされていて

違う意見だったらまちがってる、変わってる、みたいな

下っ端は意見を言える環境でもなかったし

(今はどうかわからないけど、自分達の成長してきた時代の話)

実際わたしが日本にいるときに、その頃から今思えば一般より少し思ったことを言ってしまう性格だったかもしれないけど

やっぱり’強い’みたいな感じになってしまってすごくもどかしかったこともある


でもイタリアは真逆なのだ

ちゃんと自分の意思を伝えること

良いなら良い、ダメならダメ

ちゃんと自己アピールしていかないとわかってもらえないしなめられて埋もれてしまう

みんなそうやって生きてることが徐々に見えてきた


だから愛想良くいる、っていうのは

ちゃんとコミュニケーション取りながら自己アピールをすること


ただ仕事だけきっちりこなしていることが必要なことじゃない

もちろんメイクをしているから技術が最優先なんだけど

それだけじゃない人と人の大切な繋がりがここには強くあると感じていて


でも日本で長年生きてきたから

淡々と仕事をこなすとか、相手を伺うとか、空気を読むとか、がまんするとか

無意識にそうしている自分になっているからよけいに難しく

さらには長年共に生きている自分の性格も加えて

わざわざ意識して自分のテンションをちょっと上げて、頭を切り替えないといけなくて

さらには言葉の壁をもっと感じて

また疲れている。笑


日本の教育がもっとこうだったらな、と思うことは今の歳になり、海外で暮らすからかよけいにあるかもしれない

もちろん誇りに思うこともたくさんある

でも最近数人のメッセージと自分の課題を照らし合わせて思うのは

自分の中だけでもがく、がまんする、言わなくてもわかるでしょ

そして自己評価の低さ、がやっぱりもう染み付いてあるんだと思う

悪いことではないけど、伝えてみたら何か変わるかもしれないし、

伝えることによって相手がそれまでとは違う捉え方や見方をしてくれるかもしれない

だから自分からアクションを起こす


待ってるだけではダメなんだ

というのはこういうところにも通じるみたいだ


日本とイタリアは文化も教育の仕方も人柄も

ぜんぜん違うけど

どこにいても、どんなことでも、

ちゃんとアウトプットができるというのはとても大事なことだと思っている

こちらは先輩後輩みたいなのが基本的にはないから、その違いもあるだろうけど

もっとわたしたちが考えてるよりラフなことと捉えているように思う


自分自身この課題への道のりはまだまだ長いけど

ちょっとトライしてみて

自分が生きやすいように、良いほうに変わっていったらいいなぁと思っている



mio

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