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DV被害を考える

従兄弟が亡くなりました。

父の姉の次男です。


恐らく
自殺だと思います。


私より13歳年上で、
従兄弟とはいえ物心ついてから
一度しか会ったことがありません。

小学生の頃
伯父伯母の家に遊びに行ったとき
初めて会いました。

千葉県のとある大地主の
伯父伯母の家は
目を見張るほど豪華で
クッションからカトラリーに至るまで
全て超一流品で取り揃えられていました。

「みいちゃん」と

(私はみおいちなので
一族からみいちゃんと呼ばれています)

いきなり大きいお兄さんに
呼ばれてびっくりして振り向いたら

「そのお菓子、取ってくれる?」

と言われたのが
この従兄弟との
最初で最後の会話でした。


父方の祖父母の時代は
羽振がよくて、
祖父母の誕生日やら
結婚記念日やらのたびに
親戚一同で
ホテルの一室を借り切って
パーティーをしていたのですが、


この従兄弟の家からは毎回
伯母、つまり父の姉しか
来なかったのです。

伯父が「行くな!」と
言っていたようです。


お正月も必ず
祖父母と同居の私の家に
親族が集まっていましたが、
伯父や従兄弟は
来ることはありませんでした。


きっと私が産まれる前は
来ていたのでしょうが、
13歳も違うと
もう私が幼稚園に通う頃には
忙しくて来なくなりますよね。



ところで私は子どもの頃
父方の親戚にとても人気が
ありませんでした。

大人たちは、長女であり
気の利いた会話が出来る
長姉や
天真爛漫で可愛げのある
次姉とはよく話していましたが、


無口で人見知りの私には
滅多に声をかけることは
ありませんでした。


次姉に手遊びなどを
自ら進んで行ない
楽しそうにしていた叔母も
私がいると
ちょっと困った顔をして
遠くに行ってしまうのでした。


大人になった今では
無口の子にはコミュニケーションが
取り辛かったんだと分かりますが、

それで私は幼少期から
どうして自分は
何も悪いことをしていないのに
嫌われるのか、
どうしたら姉たちみたいに
少しは話してもらえるのか、と
悶々と悩んでいました。


そんな中でもこの従兄弟の
お母さんである伯母は
私にも分け隔てなく
話してくれる人でした。

(今も存命です)


背が高く背筋が伸びていて
お洒落な美しい人で、
多少、オホホのザマス系ですが
長女気質の明るい印象に


父方の親戚の中で
私に話しかけてくれる
唯一の大人、という
個人的な感情も混ざり合って
この伯母とだけは
緊張しないでいられました。

そう言えば
幼稚園生の頃かな?
私がこの伯母に

「おばちゃん幾つ?」と
質問したことがあります。

そうしたら伯母はにっこり笑って
こう答えました。

「ハタチよ💕」

私はこれを長い間ずっと
信じていたのですが、
ある時母に
それは嘘だと教えられました😅


素敵な嘘ですね😆


伯母は美貌の持ち主で
フィットネスの講師をやっていて
誰もが羨むほどの大金持ちでした。


だけど
大きな問題があったのです。

伯母には男の子が2人。



長男の従兄弟はイケメンで
子どもの頃から
勉強やスポーツがよく出来る人。

次男の、この従兄弟は
成績も運動神経も
あまり良くなかったそうです。
見た目もお兄ちゃんと違って
ぼんやりした感じでした。

私みたいですね。


伯父は長男だけを
可愛がって、
のんびりしていた次男の従兄弟に
事あるごとに暴力を振るったそうです。


次男と、それを止めに入った伯母を。


いつまで経っても長男のようには
成績も運動神経も良くならない
この従兄弟は
実の父に殴られ続けて
視力が悪くなりました。


それで、私が初めて
この従兄弟に会ったとき
彼はビン底眼鏡をかけていました。


学生の身分を終えても
伯父のお眼鏡に敵わなかった従兄弟は
「根性を叩き直すため」に
無理やり自衛隊に
送り込まれそうになりましたが、


本当にそういうことが
あるのか分かりませんが
「暴力による色覚障害」
であったことが判明したため
自衛隊には入れませんでした。


そこでますます
伯父のDVは
酷くなったようでした。


ある時、この従兄弟は
行方不明になりました。


風の便りで
どこかの新興宗教に
入った、と聞きました。


長男の従兄弟の結婚と
離婚&再婚、
伯父伯母にとっての孫の誕生、
祖父母の死、
いろいろなことが
ありましたが、

長い長い間
この従兄弟の存在は
行方不明のままでした。


何年前でしょうか。
伯父が亡くなりました。



この伯父は私には
優しい人でしたが、
伯母に暴力を
奮い続けていたようです。

自衛隊に長く勤めていて
赤い顔で筋肉質の
大柄な人でした。


それから暫くして
次男の従兄弟が帰って来た、と
母から聞きました。
伯母は大喜びして
泣いていたそうです。


一昨日、伯母から
喪中葉書が届きました。

この葉書には従兄弟が
亡くなった、と書いてありました。


何も知らなかった私は
びっくりして
母や姉たちとのグループLINEに
連絡してみました。


母は伯母とかなり親しいのですが
「私も知らなかったわ。」と
返信してきました。


昨日、母が伯母に
電話をしたところ
「その話はしたくないのよ」と
言われたそうです。


それから、
病死ではない、と。


本当のことは分かりません。
事故かもしれませんが、
私は葉書を見た時点で
自殺じゃないかな、と思いました。


幼少期から実の父に殴られ続け
兄と比べられ、差別されて育って
大人になってもそれは止まず
むしろエスカレートして

命からがら逃げ出しても
心の傷は癒えないでしょう。


この従兄弟は
とても優しい人だった、と
長い失踪中に母が
よく言っていました。


人のことを軽々しく
こんな風に言っては
いけないけれど、

ずっと一生
辛かったんじゃないのかな。
苦しかったんじゃないのかな。
心休まる日が
無かったんじゃないのかな。


伯父は既に他界して
いないけれど、
だからって簡単に
幸せを感じられるようには
なれなかったんじゃないのかな。


父方の同じ血を分けた者として
こんなに残念なことはありません。


伯父さん。


貴方はこの従兄弟も伯母も
酷く苦しめて、
きっと貴方自身のことも
不幸にしていたんじゃ
ないでしょうか。


恐らく私と会っていたときも
この問題を抱えながら
無口な私にさえ
気さくに話しかけてくれた
今では高齢の伯母の気持ちを思うと
何ともやり切れない思いです。


どうか安らかに
お眠りください。

次生まれ変わったら
ご多幸でありますように。



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