見出し画像

暑いので、本当にあった超絶怖い話(母談)。

暑い夏は、怖い話を。



はっきりと目に見えるものだけで
世界は動いていません。

顕微鏡を使っても
見えないものもあるんです。

快晴の日にそこだけ
暗くモヤがかかったように見える
新築のマンションが、あります。


いくら高級感があろうが
そんなことは全く関係ない。

入っただけで喉元が苦しく
肩が重くなり
手足が冷えて痺れるんです。


あんなところに住んだら
霊感の全くない人でも
病気になります。

新居を構える際は
よくよく調べてから
購入した方がいいです。


出来れば霊感のある知り合いを
一度連れて行って
確認してもらった方が安心です。


⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩


神社やお寺と呼ばれるものを
決して軽く見ないで欲しいです。


以前の記事でも書きましたが、
お礼詣りも出来ないのに
軽々しく願掛けをしてはいけません。


願掛けをした神社が
稲荷や犬神さまなどの
動物が神祠の場合、

その神祠は人間の心が
分かりません。

神は酷いことを
しないだろう、なんて
侮ってはいけないのです。


あなたの元についてきて
あなたの行動をすぐそばで
一挙手一投足
観察していますよ。



私の生まれた家系の血筋が
かなり霊感が強いのは
過去のさまざまな記事で
ご紹介しました。


そう、この記事は
大変怖いので
苦手な方はお控えください。



今日は現在70代の母が
結婚前の時代のお話。

母から伝え聞いた
本当のお話です。


母の実家は東京都世田谷区。


とある道端にお稲荷さんを祀る
小さな祠がありました。


僧侶だった祖父と母が
共に歩いている途中、
雨に濡れ
ぬかるみに埋もれる祠を見て
祖父が言ったそうです。


「こんなところで雨に濡れて
 可哀想に。
 お社を作ってあげないと
 いけないな」


それから暫くして、
母の夢に狐が出てきました。


その狐はえーんえーんと
泣いていて、
恨みがましく言ったそうです。


「キミのお父さんが
 お社を作ってくれるって
 言ったから
 楽しみに待っていたのに、
 いつまでも作ってくれない‼︎」


母からその話を聞いた祖父は
慌ててお社を作ったそうです。



こちらは母が
20代前半の頃のお話。


母の実家は商店街の一角で
先祖代々、呉服屋を営んでおりました。

着物の他に肌着や布地
お裁縫関連のものも取り扱う
かなり規模の大きい呉服屋でした。




私も幼少の頃は
よくそこに行って店内で遊びつつ
母や祖母や叔父が働くのを
観察していたものです。

叔父や祖母は
玉が縦に6つあるそろばんを
パチパチと使いこなしながら
「チーン!」と音の鳴る
レジで景気良く会計をします。


母は短大を卒業後、
結婚するまでこの実家の呉服屋で
仕事していました。


昭和の時代の
商店街にあるお店です。


暇なとき、
近隣のお店の奥さんたちが
遊びに来て
お茶を飲みながら仕事していたようです。


ある日、近くのお店の奥さんが
母のところに来て
文句を言いました。


「ウチのお店のレジから
 泥棒がお金を盗むのよ。
 いつもいつも、足りなくなるの。

 困ったからあそこの神社の犬神さまに
 捕まえてもらえるように
 お願いしたわ」


数日後、その奥さんが
またやってきたそうです。

「まだ泥棒が
 いなくならないのよ。
 毎回毎回、
 嫌になっちゃうわ」

その奥さんは再び
犬神さまの神社に
お詣りに行きました。


ところが、

いつまで経っても
泥棒被害に遭い続けます。


ある日、
奥さんがまた来て
怒って言いました。


「あの犬神さま、
 全然役に立たないのよ‼︎
 いつまでも泥棒を
 捕まえてくれないわ‼︎」


次の日。


その奥さんの息子さんが
亡くなりました。


野犬に
喉元を噛み切られたことが
死因でした。




⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩




私は宗教をやっていませんが
宗教に熱心な人を嫌う、という
稀有な特徴を持つこの国の人たちに


こんなことを言うと
気持ち悪がられるのは
重々承知した上で、


それでもこの記事↓に則り


私が出来ること
すべきことを伝えるのであれば、

今のあなたの成功は
あなただけの功績によるものではない。
今のあなたの幸せは
あなただけの努力によるものではない。


家族や周りの人々や
環境のほかに

あなたを護ってくれる
神さま、だか、守護霊、だか、
とにかくそう呼ばれるひとたちがいる。

街全体を、国全体を
護ってくれているひとたちがいる。


もし、いつかふっと
この記事を思い出したら
心の中で自分を護ってくれている
見えない誰かに
感謝を伝えてくれれば嬉しいです。

自分の幸せを数える癖を
つけると良い、と
よく言われます。



帰れる家があること、
毎日食事が出来ること、
仕事があること、


特段の痛みがないこと、
家族がいること、
元気でいられること、


自分の足で歩けること、
美しい世界が見えること、
音楽が聴けること、

友だちがいること、
noteが出来ること、

幸せを数え上げれば
きりがないこと。


もしそうやって
あったかい気分になったら、


道ですれ違う人や
満員電車で密着した人など
全くの見知らぬ人のことも
「幸せでいられますように」って
すれ違いざまに
心の中でお祈りする。
それを習慣にすると良いそうです。

幸せのお裾分け。

もし、ね、それが
その思いが本当に
何かに繋がるのなら
こんなに素敵な世界はありませんね。

私はよく親友のことを考えていると
その親友から連絡があったり、
これが欲しいな、と思っていると
母や姉から貰ったりします。


人の思いって
全くの無力じゃないんだって
思います。



さて。

こんな記事を投稿して
気持ち悪い、と思う方が多いか
賛同して下さる方が多いか
どちらでしょうね。


過去のスピリチュアル関連の記事は
こちら↓のマガジンにあります。





ありがとうございます!頂いたサポートは美しい日本語啓蒙活動の原動力(くまか薔薇か落雁)に使うかも?しれません。