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自分では気づかない、後ろ姿

昔、私のおしりの形について、力説されたことがある。
おっと、ご安心ください。
穿いております、スキニーパンツを。

それは、職場のトイレでの出来事だった。
当時20代で、職場では下から2番目のぺーぺーだった私。
おトイレで、(たぶん)40代の先輩と鉢合わせして、内心「おおぅ」と思った。
別に、苦手とかそういうことではない。
単なるコミュ障ゆえ、2人きりというシチュエーションがとにかく好きではなかっただけである。

すでに用を足した私は、鏡に向かっていた先輩に「あ、ども」くらいの感じで会釈をして、そそくさと退散しようとした。
その時だ。

「つむぎさん、ちょっといい?」
と、あからさまに呼び止められてしまった。ヲイヲイヲイヲイ、おトイレで2人きりで、先輩に呼び止められるとか、私は何をしでかしたんだ!!
これから、なにが起こるんだ!!

と、やけに緊張したが、とりあえず口では「なんですか?」と、言えた。
表情については、ご想像にお任せする。

「あのさ、その…あなたの今日の服装なんだけどね」
と、上から下から眺めながら切り出す先輩。

はい、終わったかー!?
終わったかー!?
これは、なんかやらかしたかー!?
と、脇から額から冷や汗が出始める私。

ちなみに、我が社の女性社員の服装は、制服と私服が選択できることになっていた。
そうなったのは、比較的近年のことで、多分「男女平等」みたいなノリのアレだったと思う。よく覚えていない。

私は、私服が選択できるようになったその日から、私服で出勤していた。
ロッカーで着替える手間を省きたいからだ。

ただし、失礼のないように、夏でも必ず黒のジャケットを纏い、地味なパンツかスカートでまとめるようにしていたのだ。
それがなにか!?

すると、先輩がご丁寧に身振り手振りしながらこう言う。
「あのね、あなたのそのパンツ。こう、後ろから見ると…すごくハッキリわかるの。わかる?『私のおしりは、こういう形です!』って、言ってるみたいな感じに見えるの!!」

それを聞いて、私は固まった。
ここでいうパンツとは、もちろんスキニーパンツのことであって、いわゆる下着のパンツではない。

この人は、何を言っているのか。
私の、おしりが…こういう形ですと?言っている…??

トイレの壁は、一面ガラス張りのため私の全身が正面から映っている。
ただし、身をよじってもヒップを見るのは難しい。
が、話の流れの都合から、私は私のおしりを見ようと努力した。
見えない。

が、先輩は隣で熱弁をふるう。
「自分で見える?見えないよね。このパンツがね、ちょっとピッタリすぎるのよ。もう、すごい気になってたんだけど、今2人だから言うけど、歩く度にぷりぷりしてるのがわかるわけ。『私のおしりは、こういう形です!こう!』って、主張してるの。ね!!」

ね!!と言われても見えはしないのだが、なんとなくわかる。
私も、このパンツに関しては多少気になっていた。

というのは、当時、自分の下半身のサイズの変動がかなり激しかった時期で、私にしては小さめのサイズが激安の投げ売り状態で売られていて、偶然、運良く穿けてしまったものだから、勢いで購入したおパンツだったのだ。
だから、私はそれについて、試着時点で一緒にいた主人に尋ねたりもした。
「これ、穿いていて変じゃない?」と。

私は、この時「ピッタリしすぎていない?」と聞いていたわけだが、主人は「大丈夫」としか言わなかった。
それは、男性目線で「大丈夫」だったらしいのだが、先輩的には女性目線で「アウト!!!」だったようだ。

そして、当の私としては、穿きごこちなどから一抹の不安は拭えなかったので、にわかにものすごく恥ずかしくなってきた。
かなり薄手のベージュのスキニーパンツ。
もう、それは先輩の言うとおりだとしたら、歩く露出狂なんじゃないか。

おそらく、私の表情の変化はかなり目まぐるしいものがあったはずだ。
急に背筋がピンとしちゃって、大臀筋が緊張しっぱなし状態で、不自然極まりなかったと思う。

そして、先輩はまだ力説している。
「だからね、すごく気になるの。似合わないとか、そういうことじゃないんだけど、『私のおしりは、こういう形です』って…」
もうこの人、人のおしりのことどんだけ語るんだ!

こっちは、とにかく恥ずかしくてたまらない。
「わ、わかりました。あの、教えてもらってありがとうございます。気をつけます!」
と、それだけ、言い残して頭を下げておトイレから失礼した。
そして、心臓をバクバク言わせながら、自分の席に戻った。

もちろん、おしりが気になって気になって気になって気になって、仕方ない状態で。
穿いていますけど…ちっとも安心できない!!!

結局、その日は一日中おしりに振り回され。
しかし、着替えも無いし、どうにもできない拷問状態。
帰宅して、ソッコーで部屋着に着替えて、以降、そのスキニーパンツはお蔵入りとなった。

私の人生の中でも、かなり上位にランクインする、恥ずかしい出来事だ。

ちなみに、その会社に勤めていたのも、その出来事があったのも、10年以上前のことなので、時効として取り扱っていただきたい。
10年前のおしりなので、当に賞味期限切れです。あしからず。

さてさて、大変恥ずかしい思いをしたものの、私はその先輩に感謝している。
普段、その先輩は余計なことを言うタイプの人ではないし、人を笑うような人でもない。
仕事はできて、ほがらかで、一児の子を持つ母でもあり、常に忙しそうにしていた。
そして、よく気のつく人でもあった。

私は、サシでおしりについて力説されはしたものの、他の人にはまったくその話をされなかったし、指さされた記憶もない。
そして、それ以降、その先輩とおしりの話をしたことも無かった。

つまり、先輩は「もしかしたら、つむぎさんのおしりが後ろ指さされるかも」ということを、ただただ心配してくれたに違いないのだ。
わざわざ2人きりのときに、あそこまで力説してくれる理由が、他にない。

当時の私は、とてもとても恥ずかしかったけど、おしりをさらし続けるよりは、全然良かったと素直に思った。
まあ、若気の至りとはいえ、格安スキニーを軽率に穿くなという、良い教訓にもなった。
そして何より、誤解を恐れず力説してくれた、その先輩の行動に大拍手を贈りたいと思った。

人によっては「余計なこと」「おせっかい」と、思ったかもしれない。
でも、勇気あるその言葉で、私はとてもとても助けられた。
それからというもの、私自身、「言いにくいことでも、その人のためになると思ったことは言おう!」と決めた。

おせっかいでもいい。
嫌われてもいい。
誤解されるかもしれない。
でも、いい。

おせっかいは、人を救うことがある。
おしりについて力説されたあの日から、私はそう思っている。


もし、あなたの心に少しでも安らぎや幸福感が戻ってきたのなら、幸いです。 私はいつでもにここいます。