レペゼン地球の悪ノリと炎上

 この記事は、くらげさんの記事「社会の憎悪を超える武器としての無知〜レペゼン地球セクハラ騒動を軸に〜」に対する反応記事です。軽くお読みになった方がわかりやすいかも。

炎上騒動の顛末

 実はわたしもレペゼン地球さんを存じ上げなく、気がついたときにはTwitterのTLが延焼して燻っている状態でした。
 もともと流行りものに疎いわたしは何がなんだか。まとめを見ても何があったのか今ひとつわからず。それに対して先日公開されたのが白河桃子氏のインタビュー記事「レペゼン地球・DJ社長に聞いた「あの、でっち上げセクハラ炎上、なんだったんですか?」」です。

 丁寧にインタビューをしており、おそらく場の設定から気をはらい、白河先生だからできたインタビューなのかなと印象を持ちました。それだけですごい。このような対話も難しいことなのだから、評価される記事だと思います。 

 このインタビュー記事をみた感想は、「は。。。?いやいやいや。。。」という否定的な驚きでした
 インタビュー内でも白河先生の驚きが読み取れるし、先に示したくらげ氏の記事でもくらげ氏も驚いています。

これは、#metoo とどう繋がるか

 白河先生もくらげ氏も#metoo 運動と繋げる形で話をしています。白河先生は#metoo に繋げた上で丁寧な解説をし、くらげ氏は知らないということについて書いています。

 しかし、私はこれは #metoo とは関係がないと感じました。関係があるのは、たまたま繰り返し#metooが取り上げられて時間が経っていたから、タイミング的に文脈が重なった、それだけのことです。

#metoo は、海外を中心に、強者弱者の関係の中で行われる酷い行いに、「私も当事者である」と連帯を示し、社会でそれだけハラスメントが許容されていることを告発し、また地位のある人の具体的なハラスメントの告発も相次ぎました。

 本邦では、#metoo は話題になりつつも、社会でそれだけハラスメントが許容されている問題を強く提起するほどには至らなかったという印象です。ある意味では黙殺されたとも言え、個人的にはそれが残念でした。

 さて、そんな#metoo の背景のある中で、「レペゼン地球さんの炎上」があったわけですが、もし#metoo がなかったら、ここまでの炎上にならなかったのでしょうか

 否、そうではきっとありません。 #metoo がなくとも、レペゼン地球さんの虚偽のハラスメント騒動を起こし耳目を集めた一連のことは、このネット社会で大きく批判・非難を浴びたことは想像に難くありません。

一連の騒動はむしろ社会のハラスメントに対する態度を反映している

 さまざまなハラスメント、その中には書くのも憚れるようなものもたくさんあるわけですが、そのハラスメントを軽々に取り扱い、事実ならとみんな心配するような内容を出汁にし、ネタにして、衆目を集めようとしたのです。

 そしてそれは実際にあるハラスメント行為や被害者を軽んじるものであり、ただただ「そんなに軽いノリ」で行われたものであっても、社会がハラスメントを許容する空気を反映しているのです。

 これが性的少数者やだれかを揶揄うようなものであったら、つまりハラスメントの対象と内容が、他のタイプのハラスメントやいじめだったらどうか、想像してみてください。

精神障害をもつAさんが、その障害から来る行動などを執拗に社長に酷くからかわれている。
そのような告発があったけど、本当なそんなことはなく、被害者は実在しなかった。

 そのような場合であっても、当然許され得ない行為だと、多くの人に認識されると思います。むしろ唾棄すべき行いだと感じるひともいるでしょう。

 それが、セクシャルハラスメントだと、彼らの無知さ、無邪気さに一考の余地が見出される

 それはすなわち、それだけセクシャルハラスメントが社会的に許容されうるものだという事実を示しています。その理由は色々と思いますが、本稿では割愛します。

彼らはただ無知なだけだったのか

 ハラスメントとかいじめとか、知らなかった知っているという性質のものではありません。
 もちろん、くらげ氏がいうように、知らないことそのものは罪ではないし、実際レペゼン地球の方もインタビューのなかで自らのしたことの重さに動揺が見られます。

 私も、知らないことは罪じゃないと思います。知ればいい、学べばいいのです。

 では、この顛末はなんだったのか。彼らとて悪ふざけだとはわかっていたはずです。わかっていて、でもクリティカルな部分を理解せずに行った。

 私は、白河先生のインタビュー記事をみて、「バカッター」と総称される炎上を思い出しました。例えば、寿司店で生魚をごみ箱に放り込んでそれを取り出して調理する様子を自らアピールする事件がありました。
 彼らだって良くないことだとわかっていて、実害があまりないだろう(と当人たちが考える)行為をする。よくないことだとわかっているから、だからこそ悪ノリ・悪ふざけとして成立するし、その影響力や意味を履き違えているのです。

 レペゼン地球さんの一連のことは、動機は「バカッター」と同じ結果は日本の社会にはハラスメントに対して(ネタにしていいくらいには)許容する空気があること、また大の大人がそれをするくらいハラスメントについて軽く考えられていて、知られていないということを示したと言えるのではないでしょうか。

皆さまのお心は私の気力になります。