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苦難を超えて、栄光へ•••覚醒への道Vol.7

人生に於る、美学を考える、
ライフ・エステティックス・カフェ
“ Cafe Carpe diem ”


初めまして?


気がついたのです・・・。

何をかと言うと、未だ、自己紹介していなかった事に・・・。

 内容を、一刻も早く、伝えたいが余り、記事を書くことにに集中してしまい、失礼いたしました。

きっとお気づきですね・・・て•ん•ね•ん、と言う事に・・・。


 自己紹介と申しましても、型どうりでは、面白くないでしょうから、前の記事の彼方此方に、生い立ちや、出来事を散りばめて参りましたので、今更ですので・・・。


 此処では、当時の過去の心情と今現在の仕事と、前回、お話しした何故、今の仕事に呼ばれるようにして、縁があったのか?
について、お話ししようと思います。


 ある日、何気なく鏡を見た私は、自分の中に違う自分がいることに気づきました。
今の自分ではなく・・・。


 当時、5歳か6歳ぐらいでしたが、母の趣味で、肩まである髪に、緩くパーマをかけている、幼い私の目の中の奥に、違う誰かが、い・る・と感じました。 

 その時は、”しにがみ”という詩を書いて、周りの大人を驚かせたのですが、それから、数ヶ月後に、事故に・・・そしてダリの時計がぐにゃりと曲がった絵のように時空が歪んで見えた時に見た幻影を元にしたのが、『砂上のミラージュ、アリス編』だったのです。


 一連の短いオムニバスの本体の『リーディング・・・フォーライフ』に組み込むと一つの物語りになりますが、これは、一人の人間が、人生のどん底から、再生するまでのお話になります。


 そして、小学生から中学生までは、ヤングケアラーだったのですが、私は此処で、強い決心をいたしました。


 母は、病弱であるとともに、父から時折暴力を振るわれることがあり、心を病んでいました。
 当然、幼児期から、その影響を受け母からは、虐待を受けていました。   
当時は、親が子供を叱る時に体罰を与えるのが、普通に黙認されていた時代でした。


 母も、虐待とは言わず、当時の育児法でスパルタ式というのがあり、家庭教育の一環として見做されていたのですが、母の場合はそれがエスカレートして、虐待になっていったようです。


 母はよく、「獅子は、千尋の谷から子を突き落とし,這い上がってきた子しか、育てない。」と、言っていました。


 しかし、そのことも、翻って言えば、その後に起こる私の人生の苦難の中で、役に立っていくのです。

 人の苦しみや、助けてほしい人が何を助けてほしいかなどがわかるようになったのですが、その為に、自分も困ることになってしまうことも、多々ありました。


 私は、時には、内臓に将来にまで障害を残すくらいのダメージを負いながら、なぜそんな目に自分が遭わなくてはいけないのか、と思う反面、この苦しんでいる目の前の若い女性を助けてあげたい、そのために私は生まれてきたのだ、と思うようになりました。
(以前書いた記事、『砂上のミラージュ、マルグリート編』主人公、マルグリートの幼い頃の母の死に、そのイマージュがあります。)


 そして、私は、私の人生において、家族や周りにいる人たちが、決して飢えたり、傷ついたり、苦しむことのないように、助けていこうと決心しました。


 小学2年生頃から、読書をするようになり、先生からは、作文のコンテストに出して頂き、賞を頂く時は、一番背の高い私が、一番前に行きなさいと言われて、あ、何か叱られるのかな、と思いきや、賞状をもらうために前に行くんだと、しだいにわかるようになっていきました。


 中学生の頃の私は、ボランティア活動に参加し、その地区のリーダー的役割をさせられ、毎日、朝早くから、歩道橋の清掃をしていました。
 


 運動部にも、入っていて、卓球の変化球サーブを極めようと、勝ち負けよりも、その事に、はまっていました。


 その頃までは母の体調が悪く、学校ではそのことを、誰にも言えなくて、拒食症になってしまいました。


 その頃の私の、心の支えは、絵画を鑑賞することと、図書館で、外国の雑誌を見たり、本を読む事でした。
それと、映画も・・・。


そこに逃げ込むと、イメージの世界が広がり、いつも、その中に、思いっきり、ダイブしていました。


 高校からは、母の体調も良くなり、家事はまだ、やってはいましたが、沢山のお友達ができて、楽しい学生生活を送ることができました。
 その頃、父が退職し、親の経済状態を考慮し美大へはいきませんでしたが、学生時代には、数多くの出会いがありました。


 短大の英文科に進学しましたが、卒業研究課題では、心理学を選択し、ノンバーバル•コミニケーションがテーマの論文を書きました。
 


 この時に、心理学の担当教授から、潜在意識についての、概略を学び、その事が後で出会う、本の中の一文である、”貴方たちの脳は、未開の原野である。”に出会う切掛にもなるのです。


 その頃の私は、短大を卒業したら、働いて、お金を貯めて、心理学を勉強する為に、留学しようと思っていました。
その頃、染色家の夢は、遠のいていました。


 人生とは不可思議なもので、今は大学で美術史や美学哲学を学んでいますが、絵画や絵を描くことも好きですが、どうやら、形而上学的なことに興味があるのだと言うことに気がつきました。 
(形而上学のことは、Wikipediaで調べてください。)


つまり、教室で、実際にやってきたことでした。


 教室を開室して間もなくの頃に、ある自己啓発の
プログラムを販売している会社の人が、訪ねて来て、脳波測定器で、私の脳波を調べてくれたのですが、シーター波が、殆どで、たまに、スロー・アルファー波と、稀に、ミッド・アルファーとベーター波の結果が出ていました。
 

 そのプログラムの会社が開発している、教材と機械は、脳波をミッド・アルファーやスロー・アルファーやシーター派に持っていくのに、測定した時の感覚を覚える為の機械でしたから、私には、必要ないと言われ、すごすごと、帰っていかれました。


他の機関で調べて頂いた時も、同じ結果でした。


 その時は、寝不足でも、その様な結果が出ると言う事で、当時は、平均三時間睡眠でしたので、単に寝不足かと思っていました。


 それから数年後、人生で最大のライフ•クライシスが訪れて、その後、呼ばれる様に、今の仕事に出会うことになったのですが、夢を持ち始めた、当時だったら、出会う事の無かった、技術的にも、権威としてもハイ・レベルな方々と仕事仲間としてご一緒に活動したり、上質なお取り引き先や、ご高名な方々にも、ご支援、ご支持を頂く機会にも恵まれました。


  タイトルの上にある写真は、本日の朝四時半ごろの写真です。
昨夜は、中秋の名月でしたが、雲で隠れてお月様が見えませんでした。
 


 朝早く、何かに呼ばれたような気がして、外を見ると、樹木の中に埋もれそうになる寸前の満月が・・・。
 

 写真では、画面が切れてしまいましたが、明けの明星金星が、少し上に同時に出ていました。


諦めずに願っていれば、複数の願望があっても、叶うという、メッセージが、届いたようで、この写真をタイトルの上に載せました。

 

 たとえ、どんなに困難や、苦労が待ち受けていようとも・・・です。
願い方にもよりますが・・・。


 もう一つ、物事は、考え方と見方によって、幸も不幸もいかようにも変わるということを、最後には、お話ししておこうかと思います。


 今では、私の幼児期の悲劇は、見方によっては、人生の目的に導かれる為の試練だと思えば、全てが、必然と思えるのです。


 そして、当時の両親の心情を察すれば、父は、仕事の重責によるストレス、母は、度重なる、流産や早産のためにホルモンのバランスを崩していて、自分ではコントロールできない、大変な思いをしていたのだと思います。


 といいますのは、晩年の母は、私の子育てのサポートをしてくれましたし、父も晩年は、私の仕事のサポートをしてくれました。


 当時、幼児期の私は、両親の不仲に、心を痛めていましたし、両親が、恣意な事て、喧嘩になると、全身の血管が切れるくらい、泣き叫んでいたことを思い出しますが、やがて泣かなくなり、心の深いところにその傷が内在して、大人になってから、PTSDやパニック障害の発作を起こすようになりました。


 この様な、幼少期の、精神的ダメージは、思春期の拒食症や更年期の鬱などの
疾患となって、出やすいと、何かの本で、読んだ事があります。


しかし、親子の間では、自然に癒しと赦しが同時に訪れる時が、必ずまいります。


例え、親が亡くなったとしても•••。


 そして、ライフ•クライシスの時は、繊維筋痛症と慢性疲労症候群と過敏性大腸炎と鬱病に同時になりました。


 しかし、幼児期と、このライフ•クライシスの時に何かのスイッチが入り、周りの世界の見方が変わりました。



 幼児期の頃、夜、家族が寝静まった頃に目を覚ますと、周りの物質が、動き出しているように見えるのです。
 今まで形があったものは、点に見えて、色も原色の赤や黄色や緑の粒々に見えるようになったのです。 

 ライフ•クライシスの時は、崖から落ちる寸前に、見えたのは、突然、星から光が伸びてきて、私を包んだのです。


 そして、数年前、災害体験後に、目を瞑っていても、知らない景色や誰かの書斎が見えたり、アニメの様な動画が見えるのですが、決まって、夜中の2時から3時頃の時間帯で、睡眠と目覚めの間の様な状態の時でした。


 そして、そのことは、子供の頃は、誰にも言えなかったのです。
 

 
 よくよく考えてみると、この子は、頭が変になったと思われると、危惧していたという訳でもなく、ひたすらその現象が、怖かったのです。
それらの物達から、「自分達の秘密を、大人に言いつけたな・・・。」と、脅されると、思っていたのです。


『オモチャのチャ、チャ、チャ』という歌を聴いた時、他にも私のように、夜中に物が動き出すということを知っている人がいるんだな、と思いました。


精神的葛藤の末に起こる病は、人生には、付きものの影のような存在で、幸福な人生の裏にも内在しており、そのまた裏には、やはり幸福が実在しているのです。


 
そして、トラジック(悲劇)の一番ピークの時、今の仕事に出会ったのです。


 更に、数年前にわかったことですが、ある病院に検査に行った時の事、医師から、私がごく限られた人が持つ生まれながらの体質だということを指摘され、その事が海外の医学雑誌に掲載されたそうで、たまたま医師が、私が受診する前に、その記事を読んでいて、私の幼い頃からの体質を、まるで見ていたかの様に全て当てられました。


 私は、その医師は、今までに出会った医師の中で、最も信頼出来る医師のお一人であり、他の方には無い能力を持った方だと、直ぐにわかりました。


 その医師の見解では、私は、五感が敏感で、体の内外の異変を強く感じる体質だという事です。
そして、異変を感じると、センサーのような働きをして、人々に知らせる役割があったのです。
(『砂上のミラージュ•シルクロード編』のライアと同じ特質)



 その事が,『砂上のミラージュ・シルクロード編』を書くきっかけになりました
その後、海外の出版社を皮切りに、多くの作品を応募する切掛にもなったのです。


 同時期に、認知行動療法にかわるものとして書いた、
『リーディング・・・フォーライフ』が、出版社の目に留まり、noteに記事を書く切掛にもなったのです。


人は、どんな状況の中にいても、後で振り返るとベストの選択をして、危険を回避しているということを何かの本で読んだ事があります。


そして、それを察知する能力を、皆が平等に持っている事、その力を使えるようになる、閃きを得る状態への気づきが、覚醒した状態といえるのだと思います。


 此処に書いたことは、全て私の経験と実感による考えですので、読んでいただいている方々ご自身で、自分の心の奥深いところと、イメージに落とし込んでみて下さい。


きっと潜在意識は、それぞれの人に合った答えを還してくれる、と思います。


全ての人の、覚醒と癒しのために・・・


May botu awakening and healing be with you.                                                                                                                                              Mio   
     









 














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