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覚醒するば•••汝にあり! VOL.28


#今年のふり返り


愛の豊かさ、について•••


 覚醒と癒し、子育てと癒し、潜在意識と絹織物、などの他、創造や映画や音楽等の七つをテーマに、今年の七月から記事を書き始め、実に八十記事、二十五万字の文章を書いたことになっていました•••。

 その間、多くの人にお読み頂き、フォローや好きをして頂いた事が、支えになり、また、励みにもなりました。

 此れからの時代を生きていく、若い方々に向けて
のエールのつもりで書いてきたのですが、皆さんと、深い意識で繋がっている事を感じ、書き続ける事が出来ました。

有難う御座いました。

 特に、一番心が折れそうな時に、スキやフォローを頂いたり、フォローワーになって頂けたり、遠い北国の県立高校の方々からもフォローを頂いて、益々、この美しい地球🌏で、同じ時間を過ごしている、皆さんとの絆を感じ、救われました。

感謝致します。

 その間、色々な出来事や心中に去来する過去や未来への思いがありましたが、noteに記事を書いていく事で、未来への微かな希望を少しずつ紡いでいくことが出来たのです。

高次の、見えない力に導かれて•••。

 この事を、皆さんからの大いなる愛と呼ばずして何と呼べば、よいのでしょう•••。😭

 昨日は、二十年以上前のライフクライシスの時、前職の講師仲間の先生からご紹介頂いた、ヒーラーの先生に、入院していた病院の病室から電話でお話を聞いて頂き、看護婦さんから叱られながら、それでも、深夜に及ぶ迄電話して、客観的な視野での見解を、二万冊以上に及ぶ蔵書の知識から、導き出して頂き、助けられた事があり、其の方へのご挨拶と、ふとした切掛で知り合い、あまり交流の機会こそなかったものの度重なる、セレンディップな出会いやご縁があった方などの所へ、暮れのご挨拶に出掛けました。

 出会いや縁は、国境や、時として、時空すら超えて出会うものである事を、“ 覚醒するは、汝にあり “ の前のタイトル“  苦難を超えて、栄光へ “ の二つの記事と、三つのオムニバス短編 “ 砂上のミラージュ “ でも書いておりますが、其れらの出会いを大切にする事でしか、心の豊かさと、生きる希望のようなものは、生まれないのでは、と思っているからです。

 年の瀬を迎え、度重なる苦難や悩み、喪失感や孤独感で、心が折れそうになっている方々に向けて、思い出して頂きたい、と思うのは、嘗て貴方を慈しみ、愛してくださった方々の「愛の豊かさ」について、です。

 前回、クリスマスの特別メッセージにも書いたように、愛は他の人から貰うだけでなく、人にも伝えないと、愛の循環は起きないので、愛や幸せは、存在しない、と、言う事でした。

 此処で、少しだけ、自分の身の回りの自然に目を向けて頂きたいのです。

 私達は、宇宙の潜在意識の中にいて、生命の恒久的な循環の中で、無償のエネルギーや食べ物や環境を与えられています。

それは、まるでお母さんの愛の様に、あなた方に見返りを求めていないのです。

 其の与えられた愛を循環させれるかどうかは、先ず、其の無限の愛に気付き、存分に其の愛の豊かさを享受することしかないでしょう。

 其の愛に気付いたならば、其の愛は、貴方をも凌駕し、外側に溢れ出してしまうのです。


あとは、其の愛を循環させていけば良いだけです。

 
宇宙の潜在意識からの「愛の豊かさ」のなせる技でしょう。

 もう一つ、私がこの季節に、思い出す豊かさについて、私が生まれた、海辺の小さな町での祖父母との思い出をお話ししたいと思います。

 幼少の頃、私の母は、体が弱かったので、母方の祖父母が、私を時々預かってくれ、育ててくれました。

 私は、祖父母にとっては、初孫だったせいか、周りの親族にとっても、一番小さな存在で、可愛がってもらえたのです。

 暮れからお正月にかけて、母の実家へ毎年里帰りしておりましたが、そんな時、祖母は、毎年お正月には、私が着る普段仕様の着物や帯や羽織を用意してくれて、元旦の朝の枕元には、その着物が置いてありました。

 祖母は、家族全員の繰り合い箸と呼ばれる、栗の木の箸を毎年削っては、「このお箸は、誰々さんの、此れは、何々ちゃんの•••。」と、言いながら、その人のキャラにピッタリのお箸を削ってくれるのです。

 そして、自分のへそくりから、万札を取り出して、私に「皆んなには、ヘソクリの事は、内緒🤫よ•••。」と、言いながら、お刺身やお鍋料理や其の地方の、伝統的なお雑煮の具に入れる、高価な「あら」というお魚を買って、皆んなに、ご馳走してくれました。

 祖父は、祖父で、暮れから、正月の設🎍から、元旦の家に伝わる、お屠蘇やお料理に添える、縁起のよい飾り付けのゆずりはやうらじろ、松竹梅や南天の準備でおおわらわで、私を助手にして、鏡もちや各部屋にある、お軸の掛け替えや照明の点検等、準備万端の新年を迎える準備で、華やいだ気分の中、慌ただしそうだった事を覚えています。

 さて、総勢十三人の元旦の朝は、全員が着物を着て、祖父の掛け声と同時に、皆で元旦のご挨拶を交わすのが習わしでした。

 大人達は、一人が十何個もお餅を競い合って食べるので、10円玉くらいの穴がいくつか空いた、大きな丸い素焼きのせいろを三段重にして、これまた、大きなガス炊飯器の上に乗せて、お餅を何十個も蒸すのです。 
 私は、そんな大人達を尻目に、お餅一つが無理で、半分だけしか、頂けませんでした。
早朝からは、台所も、配膳も、其の準備で、大変でした。

 そして、圧巻は、大晦日から始まって、三賀日まで続く、連日連夜のご馳走の数々、特に河豚鍋とすき焼きには、心が躍りました。

 高価な、有田焼きの大皿に牡丹の花の様に盛り付けられたお肉や、瑞々しいお野菜やお葱の香りは、今でも、忘れられません。
 
 幼少期から、思春期まで少食だった私には、其の当時、病弱な母に代わり、祖父に頼まれ、私の面倒を見てくれていた、当時としては珍しい、師範学校出身の、お手伝いさんから、卵をといたお茶碗の中に、勝手にお肉を入れられ、「もう食べられないよぉ•••。」と言いながらも、頂いてしまっていました。
 
 祖母の親戚が、近くで魚屋さんと割烹料理店を営んでいた事もあり、勝手口に、青磁色のお皿に花弁の様に並べられた河豚刺しと、河豚鍋の材料が届くと祖父は、いそいそと勝手口に出向き、お財布から、惜しげもなく、何枚かの万札を出して支払っていました。
 
 子供だった私は、それを見て、お金が、もったいないなぁ、と、いつも思っていましたが、今は、懐かしい遠い日の憧憬です。

 祖父母も既に亡くなり、私が毎年お節を二十数種程作り、家族だけではなく、義実家に暮までに毎年届け、年明けには、実家にも届けておりました。
 
 そして、ライフクライシス以降の今も、作り続けています。

 其れは、いつかまた、私の祖父母がしてくれた様に、今度は、私が、愛の豊かさを周りの人々に循環させていければ、と、思っているからです。

 先ほどの嘗てお世話になった、暮れにご挨拶に伺った方々や、古い友人、仕事仲間や、外注先、子供達、そして、直接は無理にしても、この記事をお読み頂いている皆様にも、お届けしたいからです。

 多分、皆さんには、写真だけになると思いますが悪しからず•••。笑

 今年も、暮れてゆきますが、記事は、書き続けて参りますので、これからも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 来年からは、具体的に、日々の生活の中で、実践出来る事を、ご提案していければ、と、存じます。

それでは、皆さん良いお年をお迎え下さい。

今年最後の、遍く人の覚醒と、癒しの為に•••。

May both awakening and healing be with you!

                   Mio
 

 

 


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