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苦難を超えて、栄光へ••• 覚醒への道.Vol.2


人生における、美学を考える•••                

ライフ・エステティクス•カフェ
“Cafe Carpe diem”

 


 前回は、何故、今、覚醒をテーマに、お話しをする様になったのか、途中までの経験談をお話しいたしましたが、自分の生い立ちや、体験をお話しするのは、やはり、恥ずかしいもので、此処は、マダムに私の代わりに登場して頂いて、お話しして頂きました。
 

 今日は、体験談の補足と、実際の出来事、その時考えていた事などをお伝えしていきたいと思います。


 幼い頃の私は、病弱で、何回か生死の間を彷徨い、その度に、異界の中を彷徨ったり、病床の自分を俯瞰したりしていた記憶があります。


 そして、まだよちよち歩きでお襁褓をしている時に、歩行器に乗せられたまま、母が朝の家事で忙しい時は、ラジオの有島武郎作「或る女」の朗読を聞きながら、自分でスプーンを使って、朝ごはんを食べていました。


 まだ、知らない世界のしかも、大人の男女のお話でしたが、何故かその物語の世界観に、入って行けたのです。



 ベビー用の椅子に座っている赤ちゃんか、頬杖をついて、眉間に皺を寄せ、ラジオの朗読を聴いているなんて、今、考えると、笑えますよね。

 

 
 何故、経験もない世界が見えたのかは、そのときは分かりませんでしたが、その何年か後に、「或る女」がお昼にテレビでドラマ化され、当時、小学生の私が何気なく観ていると、「あ、あの船上のシーンだ!」と、よちよち歩き当時、思い描いていたイメージと同じ映像で、驚きました。



 この事は、身内にも話したことは、ありませんでしたが・・・。
 
 
 
 小学一年生の夏休みに、音楽教室に行く途中で、事故に遭い、その時、時空が、まるでダリの絵の様に歪んで見え、気を失っているほんの少しの時間に見た、幻影を、書いたのが、私の創作記事「砂上のミラージュ•アリス編」です。
 

 
 何故、幾度もその様なことがあったのかは、後にお話しすることにして・・・。
 
 
 さて、話は、開室した教室での出来事に戻ります。


 最初に潜在意識を体感してもらうことを子供達に実験的授業に取り入れ、成果があった事は、マダムがお話ししましたが、それから間も無く母が病に倒れ、幼い二人の子を抱えて、母の看病もあり、教室は、辞めざるを得ませんでした。


母が亡くなり、人生の短さと儚さを悟りました。

 

 それから、間もなくして、偶然知人に教育講演会で、その時の講師の教育学博士に、紹介されました。


 その博士の講演会の中でも、会場の参加者にイメージについての質問があり、その会場で、


イメージが見える人は?という質問に手を挙げたのは、何と私だけでした。
その時のショックは、かなりの衝撃でした。

 

 また、これから始まるという、その博士の理論による教室の講師になるのに、時間はかかりませんでした。


決断とイメージと行動は、一体なのです。


マンション購入の判断まで、即決でした。


 その半年後、私は、講師資格を取り、母が亡くなり一人になった、実家の父を呼び寄せ、実家を売って新しく出来た、自宅近くのマンションを購入してもらい、殆ど資金をかけることなく、そこで、念願の教室開業に漕ぎ着けました。
 


 さて、既存のプログラムは、あったのですが、それでは、成果が出ない事は明白で、理論的に正しいと言うだけでは、理論の通用しない幼児が言うことを聞くわけではなく、ただひたすら、講師の力量に委ねられていて、各教室で出た成果は、研究発表して、他の教室と共有するのですが、潜在意識の事は、理論では理解出来ても講師自身がイメージができる実感が伴わないと、マニュアルだけでは、成果は上がりません。
 


 あとは、物理的に情報を多量にインプットするだけですが、忙しいお母さんには、それが負担となり、お子さんに成果が出るまで待てません。
 


 そこで、お子さんがある程度成長した頃、あの潜在意識を感じる実験をしたり、イメージリーディングを時間外にするのですが、何故ある程度の時間が必要かと言えば、信頼関係が必須だからです。


 最初は、幼児期で卒業していくのですが、学齢期になったら、お勉強だけの教室に変わる人もいらして、折角のイメージ脳優位の状態をさらに反対の方向に戻してしまうことになってしまい、結局、フランチャイズの教室の方ではなく、併設していた独自の小学生以上の教室には入ってきていた子供達は、3年から5、6年続けている子が多かったので、信頼関係が出来ていて、成果が出ました。


講師や親が理論で納得しても、それをさらに深くイメージを使い、マインド(心、感情)に落とし込んで、既存にはない、子供が興味を持つ手法を使わないと、イメージが優位の子供の脳には伝わらないのです。



 理論は、理論脳優位のお母さんを納得させるためには、有効です。
理論脳以外の脳の有効性を云々している時でも、大人は、理詰めがわかりやすいので、そちらを好みます。
  

 ただ、中には、感情豊かで、日常的にイメージが出来る方がいらしたのですが、お子さんを信じて、ただ待ち続け、励まし続けてきた、お母さんと、大学生になられた、息子さんに何年か前に偶然お会いしたら、お子さんは、立派になられ、希望どうりの道に進まれていて、ほっと致しました。


 他にも、その様な方は、沢山いらしたのですが、組織の中での講師の立場では私独自の教室で、出来る事が出来なかったりする矛盾に、気が付きました。


 幼児は、まだ、脳の神経細胞が柔らかく、自由に情報がイメージ脳に行き来するのですが、五歳をすぎる頃から、バチッとその境が出来るのです。
従いまして、これからお話しする事は、大人にも有効な事です。


 この、イメージ優勢の機能を保ちたかったら、多量な、而も良質な情報を、ビジュアルだけでなく体験的に、そして、五感を使う機会を整え、鍛えてあげることです。  


それには、日常の生活を見直す必要があるでしょう。


人類は、進化しているのですが、同時に退化しているので、その退化した部分を補う事で本来の進化があるのではないかと考えていました。


 平安時代の貴族の遊びや、今に伝わる室町期の伝統文化には、その退化を補う様な、遊びや、原始的行為が、洗練された様式に昇華されています。


 勿論、必要がなくなったから退化した部分もあるのですが、そもそも、古代から、人類は、いつも危険と隣り合わせでした。


五感や第六感の様な能力を使わないと、迫り来る危機を回避出来ないので、体験、学習、危険回避を繰り返して、直感を磨いて生きてきたのでしょう。


 現代では、机上の学習が先で、随分と時間が空いた後に、いきなり社会で実践となり、先ほどの、回路は出来てこない様な気がします。
 机上の学問だけでは、単なる記憶に過ぎず、それを深く考察したり、探究したりすることが大切になるのです。


 それに、イメージを使うと、更に興味や関心が出て来て、深い洞察力や直感力が養われていくのです。


此処で、大切な事を申し上げますと、イメージ優位が、理論優位にならない様、一旦切り替える手続が必要になってくるのです。
  


 幼児には、必要の無い事なのですが、幼児期から、習慣化して決してマニュアルに陥らない事が肝要です。


 なぜなら、マニュアル化して成果だけを求めると、幼児は拒否したり、没個性になるのを強制してしまうからです。


 元々、手続が必要でないのですが、習慣化していれば、今度は理論脳からイメージ脳に切り換える時に集中できるのです。


 皮肉なことに、先ほどの独自の教室の手続の成果を、学齢期近くの幼児への取り組みとして研究発表して、それが、幼児教室のスタンダードになり、逆にオリジナルを考えた本人が、講師養成のトレーナーから、マニュアルだけを指導され、「なぜ、そうするんですか?」と聞いても、トレーナー自身が答えられなかったのです。


独創性がなければ、これからの世界を生き抜く、新たな知恵は、生まれてこないのです。


独創性や独自性が重要なのは、潜在意識の摂理が、一人一人の存在を尊重しているからであり宇宙の潜在意識が、それを奪う事を許さないからです。



 それでは、何を基準に、何にコンシャスをしていくか•••。
次回は、此のKIMOについて、お話ししていきたいと思います。
 


遍く人の覚醒と癒しの為に•••。


May both awakening and healing be with you. 
                       
                  Mio                                                     

                                                     
                                        
                




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