私が詠んだうた7選

今日は私が詠んだうたをいくつか紹介する。下手の横好きで、見るに耐えないものばかりだから、共感性羞恥を感じやすい方は気をつけてください。

そして私は、自分の作品をペラペラと解説することは野暮ったいことであると考えているのであまり多くは語りません。


画像2

台風の日、仕事を終えて傘をさしながら歩いて帰っていると、大風が吹いて、傘が飛びそうになった。部屋に入れ忘れられた洗濯物が遠くに飛んでいるように見えた気がした。


画像1

泥を吐くなら、空気だけでも充分吐けるのにな。どうして煙を吐きたがるんだろう。


画像3

「きゅっぴり」というオノマトペを私はかなり好いている。「愛おしい」「可愛い」「好きだ」を言うのが恥ずかしいときに大抵この言葉を使う。


画像4

今年初めてセミの声を認識したのが7月1日だった。ぴったりだなあと思った。ちなみに私はあまり夏が好きではない。しかしそんな私でも、「夏いいな」と思えるような出来事であった。


画像5

どんどん行こう。これは、生後二週間くらいの子猫を拾って、一緒に暮らし始めたときのうたである。子猫の心音はだいぶ速かった。体が小さいからだろうか。確かこの頃はちょうど秋で、ボジョレーが解禁したばかりだったため、ボジョレーを飲みながら子猫を撫でていたように記憶している。この時は小さかった子猫も、明日10月24日で無事1歳を迎えます。めでたい。


画像6

これは、約束を破られて悲しかったときのうただ。「会おうね」だとか「電話しようね」だとかいう約束はしばしば、現在を生き抜くことの活力となりうるけれど、やはりただの約束である。我々は「未来」と「現実」を結びつけて考えがちであるが、「未だ生じていない事象」と「すでに今まさに起こりつつある現象」との間には大きな違いがあると思う。「会おうねと約束した」ことと「実際に会ったこと」とは、大きく違うのだ。約束を破られるたびに私は強くこう思う。約束は守ろう。


画像7

今日はこれで最後です。思い出すだけでじんわり胸がいたいような気がするので解説はしません。


以上、私が詠んだうたたちでした。恥ずかしがらずに最後までお読みくださった方はとても強い心の持ち主です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?