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心にこそ物事を創造する力がある


2023年の1月に、noteに「今年はなにもやることがない。思いつく兆しもこれっぽっちもない。仕方がないので、歩くことにしよう」的なことを書いたのを覚えている。どうやらわたしは年始に「今年はなにをしようかな。うん?あれ?なにも思いつなかいぞ」という事態に、わりとなるみたいだ。

そして2024年の年始(まだ年始の気分でいるのどうなん)、ふと「スピリチュアルかな」と思った。なんとなくふわふわスピスピしている感じが好きではなくて、ちょうど「3年間毎日note」を始めたあたりから、自分の中でぱきっと縁を切っていた。

なんか、ふわスピしてたらとてもじゃないけど、「3年間かかさず毎日書く」ということをやりきれないような気がしていたのだ。意図して、その意図にコミットメントして、その力を日々の習慣に変えていくこと。
それだけがわたしに必要なことで、見える世界へ放つ取り組みを、見える世界の中でやり切りたかったのだと思う。

それはそれで功を奏して、わたしは多くのものを得た。
けれども、地に足つけた代わりにかなり力技も使ったみたいで、変な形で疲弊もしたのだと思う。
自力。自立。自主独立。「自ずから」というように、自分だけの力でやったから。

そして今はまた新たな気持ちで「ほぼ毎日note」がゆるく始まって、ただスケジュール的にゆるいから楽というよりは、「自力」以外の、「他力」ともいえる力を半分使うようにしていて、だから楽になっているのかな、と思った。

ぜったいに、自分が、なんとかやり遂げるんだ。

という思いでやってきた道を終えて、

自分だけじゃなくて、なにか目に見えない大きなものにゆだねながら、運ばれてゆくんだ。

という意識に自然と変わっているような気がする。
その自分の意識の変わり目を受けての、「今年はスピリチュアルなんだ」に至ったのだろう。その前の3年間で、土台となる胆力を鍛えたからこその、今年の原点回帰ともいえる流れ。


 すぐかっとなる短気な人より、比較的気長で、滅多なことでは怒らない人のほうが”スピリチュアル”でしょうか? 気長に考えることが、心のトレーニングの目的になり得るでしょうか?
 ネガティブに考えることと、ポジティブに考えることの間に、果たして違いはあるのでしょうか? 「きっとうまくいくはずだ」と考えることの裏に、「うまくいかなかったらどうしよう」という恐怖が貼りついているのなら、そのコインがひっくり返っても、同じことではないでしょうか。

『わたしは何も知らない』香咲弥須子


「問題」をつくっているのが「自分の心」であることがわかってはじめて、奇跡もまた「自分の心」で創造できること、心にこそ物事を創造する力があるのだということを受け入れることができるからです。

同上


そう、わたしのスピリチュアルな探求の旅は、はるか昔に出会った『奇跡のコース』から始まったのだった。じつに17年ぶりくらいに、コースのティーチャーである香咲さんの著書を手に取って、読んでいる。
17年前には読了も挫折し、365日のワークも挫折したわたし。
今年はなにか、自分の中に爪痕が残せるのかな。

「心こそが、意識こそが、物事を創造している」という聖なる真実をただ見たいと思う。わたしが見たいものを見るのではなく、わたしが意味づけたものを見るのではなく、ただあるがままのほんとうの世界というものを、「見えてるつもりになっているいま」のまなざしではなく、ほんとうに見たい。
それこそがわたしにとっての、スピリチュアルに生きるということだ。

ていうか、見なきゃ生きている甲斐がないってものだよね。



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