言動がわたし
わたしってなに? と思ったとき、ぜんぶなんだよなあと思う。
言ったことが、わたし。
やったことが、わたし。
心の奥で思ったことが、わたし。
心の奥で思ってもいないのに、でもほんとうは深く深く信じていることが、わたし。
めったにないことだけど、ここ最近は人間関係で「むむむ」と思うことが頻発した。えっ? と思うようなことで煩わされて、よくよく観察してみたらぜんぶ「過去の自分の言動」が原因だった。
その場をまるく収めたくて、ちょっとだけいい顔しちゃったとき。なんとなく流されてあいまいに返事をしてしまったとき。
相手を喜ばせたくて、心にもないことを言ってしまったとき。
そんなときのそんな言動のツケが、一気に回ってきているようなのだった。
でも、気づけてよかった。
自分のパターンに気づくことができたとき、はじめて選択肢が生まれる。
このまま、感じの良い自分でいられるうそのルートに乗り続けますか? それとも、離れるひとは離れていくけど、いいひと仮面を脱いだシャープな自分でいきますか?
うん?待てよ? と、一瞬でも感じたらもうそれはちがうんだ。
だいじなことは身体が教えてくれる。 だいじなひとも身体が教えてくれる。魂の道を教えてくれるのはいつでも身体のセンサーだ。
その前述の、あいまいな案件をあいまいに対応している間中ずっとそのわたしのシャープなセンサーをオフにしておくしかなくて、そのせいでしばらく世界が膜がかかったように見えていた。
自分の影がすうっと薄くなるような感じだった。これはいけない。
いちばんやってはいけないことなんだ、と強く思ったので、気合いを入れ直したところ。
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