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260.音楽的なものを選びつづけていく


かんちゃん(小4息子。ピッチャー。左投げ左打ち。打順はだいたい2、3、4番)の所属している少年野球チームの卒団式だったので、朝8時にグラウンド集合。6年生はすべての公式戦が終わり、年明けからは新チームが主体となっていくのだ。にしても朝8時集合って。眠いよ。ほんとうに野球の世界は昭和だなあ!

よく晴れて、卒団生チームVSコーチ・保護者チームの紅白戦も大笑いの中でぶじに決行されて、まあ人間が3人以上集まるとそこは社会なわけで、利害関係とか気が合う合わないとかでいろいろあったメンバーなんだけど(子どもも保護者もコーチ陣も)、こんなふうに青空の下で笑ってボールを追いかけていると、まあいっか。楽しかったしね。みたいな気持ちになるから不思議だ。

終わるって、解散するって、お別れするって、いいことだといつも思う。続くばかりが良いことじゃない。

卒団生(現6年生)の親たちは、なんというかこの式においては「来賓ポジション」だったわけで、下の学年のスタッフでいろんな準備をする中で、わたしは家にBluetoothスピーカーがあるという理由だけで音楽係に。

子どもたちからの涙ながらのお手紙とか、コーチ達から子どもたちへのメッセージ、花束贈呈などなどのときに定番の『ひまわりの約束』とか『宿命』とか(奇跡のバッテリーのうたですものね!)『キセキ』『あとひとつ』などなど、ガチな定番ソングをくるくると選曲してはグラウンドのすみっこでかけていたのですが、しれっと何食わぬ顔で、最後の塁を回りながらみんなに紙吹雪巻かれて退場、というシーンでBTSの『Mikrokosmos』を大音響でかけられたので、非常に満足でした。


この曲はお気に入りの曲なので入れておく。
だいたいアンコールのときにかかる曲で、スタジアムコンサートだと夕暮れから夜になっていくタイミングで、観客の掲げるきらきらのアミボム(というペンライトみたいなやつ)の光の海の中で歌われることが多いので、問答無用に感動するやつです。


やーそれにしても、地味に音楽係とかいつも好きだなあ。前にイベントを主催したとき、たまたまBar(あの、飲むところの。ほら、探偵のいる...)でやることになったとき、お酒売ったりというサポートよりもなによりも、その薄暗い店内に自分の好きな音楽を好きなだけかけていい、というシチュエーションがすごく楽しくって、ひとりでずっとThe ChainsmokersとかSigur RosとかToeとかサカナクションとか流して遊んでたっけ。

音楽はつくれないけど、音楽は好き。
くわしくないし、くわしいひとはかっこいいけど、わたしはくわしくなくていい。ただ好きなだけだ。


今日届いた、菊地成孔さんの有料メルマガ、一部抜粋。
有料でやっているものだから、そういうことめったにしないようにしているですが、彼は存在そのものが音楽なので、音楽をシェアするという意味で(でも今回のものも含めて通常の有料版はこの3倍ないしは5倍の長さと濃さで構成されているので、ここまですばらしい文章でありつつ、あくまで一部引用の枠を出ないのです)。


現在、艱難辛苦の真っ只中におられる方々が沢山いらっしゃると思います。自死の選択に逡巡されている方さえ、数少ないとは言えないでしょう。僕は、繰り返し申し述べていますが、音楽家の勤めとは、聴衆に「生きていて良かった」と思わせること、その一点しかないと考えますし、逆に言えば、音楽にはその力しかない、と思っています。その点においては、宗教家や学者や政治家に優ってしまう能力を音楽家は持つ可能性があるということです。

 BOSSくんとODも立派な音楽家です。彼らも今日、結成以来初めてのMVと新曲をドロップしますし、僕個人も彼らに同業者としてのエールを送るとともに、DC/PRG、ぺぺとルメントアスカラール、新たに立ち上げた菊地成孔クインテット(ここ最近の「今週の1曲」のジャズセットに、DC/PRGのドラムス、秋元修を加えたものです)、JAZZ DOMMUNISTERSの活動を、乱世に向けて放ち、著述家としても(僕は、著述も音楽活動の一環であると考えています)、当ブロマガのコンテンツ制作者としても、特に気合を入れる事もなく、地球それ自体から、そして、聴衆、読者の皆様から共有するグルーヴに乗って行こうと思いますし、これは話が逆で、発生したグルーヴからは逃れられません。

 音楽は、発する者だけのものではなく、また、聴取する者のためだけにあるのではありません。神から人類全体への賜物であり、音楽家は媒介者に過ぎません。僕も、実時間に換算すれば、音楽家であるよりも、聴く者としての時間が長いです。こうして僕もリスナーですし、リスナーの方々の中から、音楽家への移行を果たす方が1人でも増えることを願って、教育者である時間も持っています。僕から受講した方々であれば、僕が「教育者」という自認で動いていないことが瞭然とされると思われます。

 僕の究極の願いは、人類全員が何らかの形で音楽家になることです。当ブロマガのエデュケイション・コンテンツは、エリート教育だとか、選民に類することではなく、同じゲームのプレイヤーを増やすために楽しさを配送しているだけであって、公園で遊びのルールを熱心に説明している子供や、宗教の折伏者の方が行為としてはより近いと思っています。


どこまでも音楽的な彼の文章。

こんなメルマガが届いてしまうと、こんなメルマガではないメルマガをどうしても解除せざるを得なくなってしまうよね(笑)。音楽的であるということはつまりは「生きている」ということなので、「生きている」ものだけに嗅覚を、聴覚を、原始的な脳をフォーカスして、「生きているふり」をする多くの巧妙なマーケットにだまされることなく、音楽的なものを選び続けていきたい。



ボディートーク・セッション、ダイアローグ・セッションともに満席につき、年内の受付を終了しました。1月枠につきましては、また年明けから受付を開始いたします。

ライティング・ライフ・プロジェクト第5期、満席につき受付終了しました!ご関心をお寄せくださったみなさま、ありがとうございましたm(_ _)m。第6期は、年明けからのタイミングでスタートしたいので、近日中にメルマガで募集します!*



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