ひとりで生きてない / 祈りと創造のフィールド
「奇跡のコース」(以下、ACIM)では、自分が見ている誤ったマインドでつくられた幻想の世界を、真実の世界に置き換えていく、ということが説かれて意図されているんだけども、その中に出てくる、”聖霊(ホーリースピリット)”という存在に関する概念がなかなかにむつかしい。
まず、キリスト教の世界観だからその言語になじみがなくて、なじみがないだけではなくて、なんだか自分の中に「神」とか「天国」とか「原罪」とか謎のイメージが強固につくられていて、そのイメージが理解を阻むという感じ。
でも、めっちゃ簡単にいってしまえば、そのACIMが目指すゴール的なところへいくためには、「自分ひとりの力ではいけない」「聖霊と協力してゆくのだ!」ということだと思う。
そして、聖霊って、なんかふわふわしたティンカーベルのような妖精さん、ではなく。
ほんとうの自分、真我、セルフ、といったところのものであろう、とわたしは今の段階でいったん理解した。
となるとさ、わたし、どんなことも自分ひとりでなんとかしよう、とはしていないな、と思った。わたし、ふつうに、いつでも、”わたし” に相談してる。
それも、毎日、毎朝、もう何年にもわたって長い間そうしているじゃないか。
「モーニング・ページ」というツールで。
「おはよう、世界」と書き出しながら、いつでもわたしはわたしと出会い直し、「今日、いま、これから、なにがしたい? いっしょになにをしようか?」と相談し、「そうだ、これをやってみよう」「あのひとに会いにいこう」「あんなところにいってみよう」と、降りてきた思いをまっさらなノートの上に言葉にしていく。
どんな小さなことも、おどろくような大きなことも、わたしのすべてはその朝の真っ白い1枚のページから生まれてくる。
それは、わたしが書いたようで、わたしではない。
どれも、わたしがやったようで、わたしではない。
創り出すお仕事も、出会っていくひとも、起こるできごとも、わたしにとっては「共同創造」みたいに感じている。いつからか、そんなふうに思っている。
ひとりで生きているんじゃないんだな、って。
「モーニング・ページ」の中でわたしは真実のわたしに触れて、「今日も”わたし”を生きられますように」と祈り、そしてあらゆる現実を創造してきた。そういう意味ではあの紙の上は、祈りと創造のフィールドといえるのかもしれない。
紙は、神!っていうし!
そう思ったら、とにかく敷居が高い高いと身構えてしまいがちなACIMも、なんだか身近に思えてきた。わたしはずっとこれまでも「聖霊」という名の、”聖なるわたし”、”純粋意識100%のわたし”の存在を信じて、そこにゆだねてやってきたんじゃん。ねえ。
いいぞいいぞ、その調子。どんどんいこう、わたし。3月も。
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そんなわけで、気持ちよくぐりんぐりんとモーニング・ページを書きつづっていたら、あんなにも「どうしよう3月。なにしよう3月。なんも見えーん!」とのたうちまわっていたのがうそのように、やることが決まっていきました。
じゃん!
ACIMのテキストを読む
ACIMのワークブックを1日1つやる
まとめたい原稿を書く
noteを書く
メール学習用のビジネス講座をつくる
でした。で、これをわたし流にもう少し、動きやすいようにアレンジするとこうなる。
ACIMのテキストを読む(10分 ✖️ n回)
ACIMのワークブックを1日1つやる(スキマ時間)
まとめたい原稿を書く(25分 ✖️ n回)
noteを書く(30分間、一本勝負!)
メール学習用のビジネス講座をつくる(25分 ✖️ n回)
大きく1日で区切らない。たとえば、ビジネス講座をつくる、となると多くのひとは「それ用に丸一日、もしくは数時間単位で予定を空けなくちゃ」と思うと思う。でも、大人として社会でそれなりに生きていると、まるっと一日クリエイティブに使える日ってあんまりないと思う。
それだと、プロジェクトが進まない。
これにエネルギーを注ぎたい!と思ったことがあったら、まずは数十分から始めてみて、いきおいがついたらそのままつづけるもよし、中断があったらまた次のターンでリスタートするもよし。みたいに、とにかく一回、転がしてみる。を、オススメしたいです。
まあでもなにごとも、しっかり睡眠取って、休息してからの話ですけどね。あんにょん!
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