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食べ物とお金についての考察(その1)


人生においてものすごく行き詰まった領域というのが、「食べ物」と「お金」だった。

食べ物に関しては、大学時代にイギリス留学を経てむくむくと太り出し、いま現在の体重プラス20キロ、くらいまでいったことがあった。もちろんそれはそれはコンプレックスで、帰国してからの大学時代そして社会人時代もずっと、とにかく「痩せたい」「痩せてきれいになりたい」と悩まない日はなかった。
ありとあらゆる無理なダイエットをしては無理がたたってリバウンドする、という年月をまあまあ長く過ごしていた。

どのポイントからか、自己認識が深まって自己受容力が高まっていくうちに、つらい感情(さみしさやむなしさ)の代償行為としての「食物の摂取」という行為が少しずつ、少しずつ減ってきた。さらに仕事が忙しくなったり妊娠して出産したらつわりで10キロ痩せたり、その後の辛すぎる育児期間でますます痩せたりと、適正体重に戻っていったのだった。

いまだに自分にとって「なにを、どれだけ、どのように」食べるのが最適なのか、じつはわからないままでいる。

ただひとつ、自分にとって益だった!と感じられて、体質とライフスタイルに合っていたメソッドが「16時間ダイエット(ファスティング)」というものだった。

1日のうちに食べ物を食べる時間は、8時間以内。
それ以外の16時間はお腹になにもいれません!

という、完全にスケジュール管理のみ。食べていい8時間に関してはどうぞお好きに!というおおざっぱなスタンスが自分に合っていたようで、この16時間をきっちり空腹状態にしておくことのメリットをここ数年はとっても享受している。
まず、体重が落ちて、体型がほっそりした。さらに、断食時間の効果でオートファジーが発動したのか、喘息やアレルギー症状まで緩和した。
デメリットはおそらく、単純に食べ物の摂取量が減っているので、栄養バランスが損なわれることと筋肉量が落ちるという部分なので、そこは献立とサプリそしてパーソナルトレーニングに通って筋トレする、でカバーしている。

こんな感じでここ数年はのほほんと過ごしてきた。
なにが楽って、19時から11時までただ単に「食べない」だけでよくって、「なにを、どれだけ、どのように」食べるのかなんて、なーんにも!考えなくてよいところだと思う。

この時間感覚のおかげで、ずいぶんと「わたしと食べ物」の関係性は改善された。ここ数年はずいぶんと穏やかで、自分でも「もう、食べ物問題では悩まないだろう」と思っていた。

けれどもここにきて、新しい概念に出会ってしまった。
それはメソッドとかではなくて、まさに、概念というべきものだった。それは、こんなふうに書かれていた。

 食べることは、非常に奥の深い領域です。食べ過ぎると胃腸がもたれ、消化に必要以上のエネルギーがかかり、パフォーマンスも落ちます。食べなければいいかというと、エネルギー不足で元気が出ず、仕事に支障が出ます。食べることは理屈ではありません。地球で生きるということはおいしく食べること。食べ過ぎても食べ足りなくてもおいしくありません。

 天運は難しくても、地運は自分でコントロールできます。だから自分が何を食べるかということに興味を持ってください。でも、誰かの言っていることを百パーセント採用してしまったら、それは誰かのコントロール。自分の食べ方は、最終的に自分で決めたらいい。なぜなら地運は自分で培うものだから。ツキという自分でコントロールできる領域だからです。

 人と人とのバランスは、自然界や宇宙に存在するバランスと何も変わりません。バランスは物質ではありませんが、宇宙に満ち満ちています。そして、人の世で生きることこそバランスなのです。
 だとしたら、食べることは、食べ物と自分とのバランスではないか。自分の食べ物を自分で選ぶことは、最終的に、食べた物と自分が心地よくバランスするためです。


ここまでのわたしは、どっちかというと「なにを、どう食べるのか」という問題に頭を悩ませたくなくて(仙豆があればいいと真剣に思っている)、それを考えなくても快適な身体でいられる「16時間ダイエット」を採用していたと思う。
わたしにはどうもそういうところがある。
毎日、何を着るかについて頭を悩ませたくないスティーブ・ジョブスがいつも同じ服を着ていたように、「このことについては思考を使いたくない」というものをはしょってしまう。
(たとえば、「結婚するのか、しないのか」「子どもを産むのか、産まないのか」に悩みたくなさすぎて、デキ婚!ラッキー!って心から思ったw)

けれども、kan.さんは、この『縁の扉をひらく』の中で、「すべてはコラボレーションだ」という。この地球に生きるということは、地球とわたしのコラボレーションであり、この身体と生きるということは、食べ物とわたしのコラボレーションなのだろう。

なにを、どれだけ食べるのか。
それをどこかのだれかのメソッドで選ぶのではなく、本来わたしに備わっている「ちょうどぴったりの、そのときそのときの感覚と縁をわかっていく力」というものを、開いていくときなんだなあと、ここ最近は感じている。

 本来、人は自分にとってのちょうどいい量を加減できます。適量は人によっても、日によっても違います。自分でいろいろやってみないことには納得できません。それでいいのです。加減する力とは、誰かが頭でこうだと決めて強制するものではない。
 人のアドバイスが参考になるかもしれませんが、どのくらいを、どのタイミングで食べるのかは自分の感覚でしかわかりません。だからちゃんと自分と相談することです。「あなたはもっと食べるべきだ」「あなたはこれ以上食べてはいけない」と言われたとしても、自分が大丈夫だと思ったらそれでいい。自分が自分をコントロールしている、これが地運です。
 自分にセルフコントロールする力があることを忘れないでほしいのです。


おっと長くなってしまった。
今回は、「わたしと食べ物のコラボレーション」の話。
次回は、「わたしとお金のコラボレーション」について書くです。あんにょん!


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