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026.女性性を満たしながら、男性性で遊ぶ日々

車の6ヶ月点検の時期だというので、整備工場へ。

点検してもらっている間、安っぽい待合室の安っぽい椅子に座って、ボタンを押すと出てくる無料の安っぽいコーヒーを飲みながら、ツナギを着たお兄さんたちがてきぱきと車を点検している様子を見ていた。有線からは、これまた安っぽい昔のポップスが流れてきた。

そうしたらなんだか唐突に、えも言われぬような幸福感がふつふつと湧いてきた。なぜだろう。ぜんぜんわからない。

椅子はさほど座り心地の良いものでもなく、コーヒーだって香りなんてほとんどない、ただの真っ黒いお湯でしょ、という味だったし、そのポップスを歌う歌手だってちっとも好きではない。
ツナギのお兄さんたちにはちょっとグッときたけれど(新たなフェティシズムに目覚めた)、それだってまあふつうの光景である。

でもたしかに、今日、あのときあの場所で、わたしは光るように幸福だった。
わたしの細胞全部が「生きていて、この世にいる」ということを、駆け回って大喜びしているみたいだったのだ。

その不思議に発光しているかのような感覚は、ツナギのお兄さんの「点検、終わりましたー」の声でしゅるるる、と消えたのだけれど、なんだかおもしろい体験だったので記録しておく。

なんだったんだろう、ここ最近ずっと「とにかく心から幸せだ」と思いながら生きているせいなのか。

時間の感覚が変わってしまって、もう後には戻れない気がしませんか?
時間がとにかくある。1日が過ぎるのが、遅いとか早いとかではなくて、なんだかとろりと甘いのだ。

ホットケーキの上を流れるシロップとかはちみつみたいに、金色で甘い時間が流れている、そんな毎日。いままでの、いつもなにかに追い立てられていて、急がなきゃ、急がなきゃ、って思っていたのとは、ぜんぜんちがう幸福な時間感覚がある。

その中で、いつも何をしていても、あるいは何もしていなくても絶え間なく喜びがある、そんな感覚が1ヶ月ちかく続いているわけで、最初の頃は「社会やマスコミがエマージェンシーなテンションになっているせいで、わたしも軽い躁状態になっているのだろう」くらいに思っていたのだけれど、なんかそれもちがう気がしている。
だってわたし、落ち着いているし。

世の中のバッドニューズはさておき、とにかく自分だけがグッドヴァイブレーションだだ漏れというこの状態を、どうしたものやら。ヤバイなにかがキマってるのか?気管支拡張剤に含まれるステロイドか?笑。とか思っていたが、もうそこは降参することにした。

よしわかった。正直に言おう。
わたしは超!グッドヴァイブレーションを放っている!と思う、いま、まじで。

グッドヴァイブレーションってそのまま免疫力だろうと思うよ。免疫力ってそのまま生命力でしょう。
変にポジティブになっているわけでもなくて、ただなにか、追い立てられるようなせっぱ詰まった男性優位の資本主義がぶち壊れていくことで、自分の萎縮していたどこかが元気になっているんだろうと思うわけです。

時間に追われない、どこにも行かない、誰にも会わない。なにも目指さないし、勝ったり負けたりもしない。別に働かなくたって稼がなくたって、今はただ生きているだけでいい、という世界に突然になって、本当にわたしの内なる女性性が安心しているんだろうな、と思った。

そして、”働かされる”ということは今まで以上になくなって、やりたいことだけ(趣味とか、たとえばnoteを書くとか、小説を書くとか)をやっているわけなんだけれど、不思議なもので、女性性が満たされた状態で動くとき、これまでは窮屈で息苦しくって苦手だった、男性性の領域のものが、別なふうに見えてくる。

これまでは、決まった何かを決まった時間に、機械のように毎日続ける、ということは、本当に苦しくて苦手でできなくて、自分はそういうことに関してはとことんダメなヤツなんだ、「続ける」とか「カタチにする」とか「仕上げる」が、できない人間なんだ、と信じ込んでいたのだけれど、

いま、毎日続けることって、スリリングな遊びだって思うし。
なにかを形にすることって、エキサイティングな遊びだって思うし。
ひとつのものを完結させることって、チャレンジングな遊びだって思うし。

つまり、”遊び” なんだから、むつかしくも息苦しくもなくて、ただ楽しいだけなのだ。こんな楽しいことが、どうしていままでできなかったんだろう?って思う。けど、本当に自分を責める気持ちが止まらないくらい、何十年もできなかったことだ。


で、いま書いていて気づいたんだけれど、わたしは「本当に女性性が開くとか、満たされるとか、そういう状態になるとどうなるのかな?」と考えていたことがあって。漠然と、

すっごい自由で魅力的で有能で満たされているんだけれど、非常に扱いづらいエネルギー状態となってしまって、エキセントリックなパワフルさに本人も振り回されてしまい、物事を進めるとか、形にするということはまるっとできなくなってしまうのではないか?

みたいに思っていたのだけれど、もうこれはぜんぜん見当違いだったってことがわかった。

たぶん、本当に女性性が開かれたら、というかその状態って「女性性と男性性の統合」「右脳と左脳の統合」「天と地の統合」みたいな話なわけだから、自動的に男性性も発揮されるわけなんだよね。女性性の開花と男性性の開花って、同時に起こることなわけ。

だから、天衣無縫で天真爛漫な無邪気さと自由さと、計画性と実行力と実現力を兼ね備えた状態になるっていうのが、上記の問いの答えかもしれない。


えーと。だからなにが言いたいかっていうと、別に言いたいことなんてなくて笑、書きながら考えを整理しているだけのこのnoteなんだけど、やっぱり今ってすごいときだよ、としか言えない。
女性性も男性性も、ぜんぶひとりの人間の中に完璧にあるってこと、今ここでわかっちゃうときだよ。

だからさあ!


この時代の前人未到のビッグウェーブを。
みんなで。
自分らしいスタイルで。
あまく潤いながらも、
シャキッとクールに。
ライドしようぜ!

としか言えないや。


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