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196.エッジを超えろ / 神の意思(BTSライブ所感)

 

ありえないバリューだったBTSのオンラインライブの話はさておき、ひとつエッジに気づいたので書いてみる。

エッジってプロセス指向心理学の用語なんだけど、大前提として、人間は大人になるにつれて仮面をつけて生きることを余儀なくされていくので、真我と自我が分離していきます、と。そして、そのことに気づいてからの生きていくその道は、そのいくつもの仮面を外し、分離させて置き去りにしてきたほんとうの自分のかけらたちを見つけて、また全体に戻るという道のりです、と。

その道のりに立ち現れてくる身体的な痛みや精神的な痛み、恐怖心や抵抗感などを総称して”エッジ”と呼んでいて、気づきのプロセスにおいては常に、わたしたちはなんらかのエッジを経験していきます、みたいな話なんだけど(ああ、BTSのライブの感想までたどりつける気がしない)。

要は、他のひとから見たら「え、なんでそれができないの?なんでそのことが怖いの?」というようなことなんだけど、自分にとってはとっても難儀なことで、無意識のうちに避けているようなことだと思ってもらえればいいんだけどね。

わたしのエッジって、「主婦」であり、「主婦的な生活」や「主婦的な行動」なんだなって。それを自分のライフとして、アイデンティティーとして表現することにものすごーく抵抗がある。

たとえば、今日はすごく朝から気分がよくって体調もよくって6時には目が覚めてしまったので、おいしい朝ごはんを作ったりした。さらに予定していた運動会も延期になって少年野球もないものだから、とにかくめずらしくフリーの日だったので、めっちゃおいしくて身体にやさしいマーマレードのマフィンを焼いた。
わーお。おいしそうでしょ。おいしかった。

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で、『トッケビ』のつづきを見て、お昼寝をして、夜ごはんは水餃子の鍋をつくってささっと食べて、19時からは念願のBTSオンラインライブを楽しんでいました....みたいなことが、書けないのだ!

いや書いてるじゃん....? というなかれ。すごく抵抗がある。なんなら上記をぜんぶデリートして、ちょこっとすきまにやった仕事のことを書きたいくらいだ。


こういうのがエッジなんだよね。なぜ、エッジになっているかというと、たぶん中学生のときくらいに自分に強く誓った「ぜったいにぜったいに、なにがあろうと主婦にだけはならない」という誓いのようなものが、今となっては呪いとなって残っているんだと思う。

呪いという言葉はぶっそうだけれど、それはただの強い信念システムなだけなので、気づいたからには積極的にとっぱらおうと思います。

家のことや、子どものことだけをしている一日を恥じるのはやめよう。
好きなことだけをして過ごす一日を、どこかの誰かに申し訳なく思うのはやめよう。それはそれとしてちゃんと描いてゆこう。


BTSオンラインLIVE。想像をはるかに超えた、というか想像を絶するバリューだった。

もう、もちろんそうなのだ。だって彼らはあらゆる音楽業界の常識をくつがえすような想像を絶する大躍進を、浮き足だった様子はなくどこまでも堅実に着実に遂げているわけなので、「どうせこんなもんでしょ」ということなどあるはずもなく(だったら世界がこんなに彼らを愛さない)、「ここまでしてくれたら嬉しいな」という期待をはるかに超え、「ここまでとは思わなかった」という感動も超えて、「ついに時代はここまで来てしまったのか」というただただ畏怖と畏敬の念を抱かせてしまう、エンターテインメントとテクノロジーとの現時点における世界の最先端を見せてくれたのでした。

あ、もう、完全に先進的革新者になってしまったBTSと、パン・シヒョクPDとBig Hitエンターテインメントは、これからどこにもお手本のないエンタメ業界を創るんだなと思った。もうとっくにそれはやっているんだろうけれど。

・ものすごく深く攻めつつも聴き手を大事にする完璧なセットリスト
・BTSが、オンラインコンサートという場でありながら、アイコンタクトと歓声を浴びることができる、相互にエンパワーメントしあうための装置を莫大な資本力で可能にした(ことによる、BTSメンバーの幸福度と満足度とパフォーマンス精度の向上)
・7人ぞれぞれの個性的なパフォーマンス力と、全員での完全な一体感とで、彼らの表現できる世界観をどこまでも拡張していこうというパンPDの意思(というか神の意思)

この3点がわたしは語るべき、語られるべきポイントかなと思いました。特にセットリストは、メモしながら観てましたが、すごかった。あえて抽象度を高いまま言語化すると、あのセットリストは、『魂の地図』と銘打たれたアルバムタイトルのとおり、そしてユング心理学に造詣の深いキム・ナムジュン(RM)が、アルバムの曲の中で「ペルソナ」「シャドウ」「エゴ」など、自己存在の核心にせまっていかんとする魂の進化のプロセスを、きちんと自分の人生と自分の音楽・言葉へと移し替えて表現していっているからこそ、生まれたセットリストだった。

自分たちがどうやって生まれて、なにを求めて歩きはじめたのか。そこで捨てざるを得なかったもの、逆にどうしても譲れなかったもの、彼らの取捨選択の一歩一歩が、「僕らはこうして生まれて、聴いてくれるひとたちと、7年間一緒にやってきたんだ」という自負と誇りになってきたからこその、前半のライブはデビュー当時の初期の楽曲中心のセットリストだったと思うし、とにかくその礎は誰がなんといおうと成熟したラップラインの音楽性の高さだったと思う。

そこからボーカルラインがどんどん成長してきて、ダンスも進化して、自分たちが誰なのかというアイデンティティーの軸はブレないまま、BTSとしてできるパフォーマンスの世界観の幅がとても大きくなった時期を経て、個々の安定感が増してきて、そしてすばらしい7人それぞれのソロの楽曲がどんどん生まれてきて、そのクリエイトにも本人たちが参加していって....という、かなり壮大な『BTSの魂の地図をめぐる物語』として語れるくらいの、構成だった。

”Dynamite”からファンになったひとたちもいっぱいいるだろうから、その新規向けに寄せずに、あくまでも媚びずに攻めた内容だったのに、やっぱりどこまでもファンに甘く、アーミーが喜ぶことだけを考えたくなってしまう彼らのやさしさも、きちんと現れていて。

過去5年分くらいのワールドツアーのDVDは国内外問わずぜんぶ買い漁ったので、いろいろ見たけれど(行ってないのが悔やまれる)、使える色が増えるほどグラデーションは繊細になるもので、とにかくBTSという絵の具があれば、どんなクラシカルな名画でも最先端のグラフィックでも、描けないものはない、ということを、パンPDは見せようと、いや魅せようと、してるのではないかな、と思った。

それが、みっつめに書いた「神の意思」の部分。

そのあたりは、だんだんゆっくり醸造していって、また書いてみたいと思っているところです。でも今日はもう寝ます。おやすみなさい。



ライティング・ライフ・プロジェクト、第4期は満席となりました。関心を寄せてくださったみなさま、ほんとうにありがとうございました。
第5期は、今月メルマガにて募集いたします。(そろそろです...)*



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