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0602.その真実にどんな意味があるのだ?


ずいぶん長い間、だれにも言えなかったことをここに書くことにする。なぜかはわからない。なぜここに書くのかもわからないし、なぜ長い間だれにも言えなかったのかもわからない。書いているうちに、きっとわかるだろう。


ずっとずっとずうっと前。ある男のひとと会う約束をしていた。年下の、男性の、友人。
どこか感性が似ているところがあって、お互いおそらく内向的で、でも探究心が強くて、あまり他人に興味がないというタイプだったので、「お、仲良くなれそうだぞ」と思ったのだろう。

ふつうに会うのを楽しみにしていた、その当日だったと思う。

「ひとりで過ごしたいという気持ちになったので、今日の予定はなしでお願いします。」

というメッセージを受け取ったのだった。


で、わたしは一体どういう気持ちを抱いたらいいのか、どういう反応をしたらいいのか、どういう返信をすればいいのか、とにかくよくわからなくて途方に暮れた。このメッセージってなんなんだろう?
このメッセージを送るって、これって、正直とかそういう話なのだろうか?

わたしは「正直に言ってくれてありがとう。それならしょうがないね!また今度!」みたいに返信をするべきところなのかな? としばし本気で悩んで、たぶん、なんらかの返信は送ったのだと思う(よくおぼえていない)。


まあでも、傷ついたのだろう。ふつうに、残念だなあ、さみしいなあ、と。

けれど、彼のそういう部分はある程度理解できるし、わたしだって常々「正直でありたいし、うそはつかないでいたい」と思っているのだから、傷つくほうがおかしいのかな? と思って、それでも考えても考えてもどうしても釈然としないので、そのまま忘れたことにしてしまった。


でも、結論としては「その正直さと真実は、なにを意図して発せられたわけ? その真実はいらなくない?」という気持ちに落ち着いたのだった。


落ち着くことができたのは、きのう届いた菊地成孔さんの有料メルマガの一節を読んだからだ。
彼は冒頭で、今回のコロナにおいて


僕は、「現在のニューヨークが来週の東京だ」と言った学者も「残念ですが、来年(ここでは2013年)福島の子供達は甚大な被害を受け、チェルノブイリリング(甲状腺ガン摘出の傷跡)を持つ子だらけになるでしょう」と言った学者も、頭を丸め、托鉢僧になれとは言わないが、SNSの使用は停止するか、あるいは国家に使用権を剥奪されるべきだと思うが、彼らよりタチが悪い奴は「先の見えない時代」という(悪い意味での)名コピーを考案した人物である。


と、こんなふうに↑ 言及した上で、そういった「真実であるがゆえにラジカルで辛辣で、人の胸をえぐることを厭わない物言い」を、彼の品性とポリシーにおいて、とても嫌う姿勢を見せている。

そしてそれはこんなふうに続く。


 抑鬱系の人々を追い込んで、社会に一体、どんな効果があるのだろうか?崖っぷちで自動車事故に遭い、崖の上にいる父親が、宙吊りになっている子供の手を繋ぎながら、「大丈夫だ。絶対に大丈夫だから手を離すな。諦めるな」と言ったとする。もしそれが、現実と違ったとしても、これが普通だ。「お前はもうダメだ。あと30秒以内にお前は落下して死ぬから、今のところ、一応、しっかり握っておけ」という父親の意図は何だろうか?「パパにもお前にも、この状況がどうなるかわからない。どうなるか先のことはわからないよ。どうなるんだろうな?」
僕は、インターネットがこういう父親を生み出す可能性を強く感じている。


「もしそれが、現実と違ったとしても、これが普通だ。」
という感覚は、わたしにとっては大事なものだ。わたしたちにはいつでも”ふつうに”光が必要で、”ふつうに”希望と展望が必要で、それは大切な人間同士においての基本的な姿勢だと思う。白洲次郎じゃないけれど、”プリンシプル”というべきもの。


あのメッセージをもらって、楽しみにしていた約束をドタキャンされたときにわたしが知りたかったことは、「それ(ひとりで過ごしたくなったので会わないことにした)を普通の友人であるわたしに告げる、その意図はなんなの?」ということだったのだと思う。

わたしはいわゆる「抑鬱系のひと」ではないけれど、それをわたしに告げることでいったいどんな効果があるのだろう、と、そんな風に感じたことをもちろん彼本人にも言えず、さりとて別のひとに「聞いてよ〜」とも言えず(なんかちがう風に伝わりそうだったので)、モヤモヤしていたのだった。

会いたくなくなったので、会わない。と決めることはもちろんある。
わたしにだってある。そういう気分のムラとか揺らぎを、さも自分の本心であるかのように大事に抱えていた頃の(つまり若い頃の)気持ちもよくわかる。

けれどまあ、それは真実でも正直さでもないよな、と思う。それは、上記の「お前はもうダメだ。あと30秒以内にお前は落下して死ぬから、今のところ、一応、しっかり握っておけ」と言い放つことのできる父親と近しいものだ。

それはわたしにとっては真実ではないし、なんというか、真実って「どれだけ自分のプリンシプルに忠実であるか」のほうのものさしで考えるものなんじゃないかな。ただのありのままの事実ではなくて、自分の胸に手をあててみて、そこから放たれる光のほうを、真実として採用したいと思うのだ。

もちろんわたしが崖っぷちで子どもの手をにぎっていたら、「大丈夫だ。絶対に大丈夫だから手を離すな。諦めるな」と言い続けるだろう。いくら血とかでぬるぬるすべってだんだん下がっていく手のひらだとしても。それが真実だ。それが発せられるべき言葉であり、プリンシプルに忠実であるということだ。

そうでなければ、言葉なんか使わないほうがよっぽどいいのだ。


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