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004.二次プロセスを体験するということ

まじめっぽいタイトルにしちゃったから気が重いな!笑 だかしかし書こう。(なんとなく、ここはスナックです...みたいな気持ちで書いてます、このnote。カウンター越しにお酒を出したいわ。会いたいひとに会えないって切ないね。)

今、この記事を含めて下書きしている記事がいっぱいあるの。前にFacebookにも書いたけど、とにかくずっとPCの前に座っていくらでも書き続けることができる...なんか、ちゃんとしたコンテンツを準備して、セミナー会場を整えて、とかそういうんじゃない。だらっと、ゆるっと、ぬるっと、常連さんだけで成り立つ場末のスナックのほの暗い、水の底みたいなお店で、たんたんとしゃべっているような。

で、それってどう考えてもこれまでのモードじゃない。平時のモードじゃなくって、神経が過活性しているモードなんだよね。エマージェンシーな状態に酔っ払っている自覚、ちゃんとあります。社会が酔ってる、酒気帯びモード。

書きたい、書きたい、止まれない...みたいな、これまでの自分と重なっているようでズレている自分を体験しているのですが、その体験こそが「二次プロセスを体験する」ということかな、と思って。それは、良い悪いの枠を外したところでのはたらき、作用、であり、これからのわたしに何をもたらすのかな、ということにとても興味がある。

どんなときでも、どこまでも、わたしは「観察」の担当で、「体験」の担当で、「記録」の担当です。二次プロセスの渦中にあるからこそ浮き彫りになってくるアイデンティティーってあると思うのですが、みんなはどんな感じだろう。

ま、この「一次プロセス/二次プロセス」という概念は知っておいて損はないので(酔いざましにもなりますぜ)、書いてみる。

そもそもの出所?は、心理学用語です。プロセス指向心理学で使われる用語で、プロセス指向心理学についてはわたしも通りいっぺんのことしか知らないのだけれど、人間の心理、身体症状、精神病、人間関係、グループ、組織、社会の問題などなど、の広範囲の問題に関わる心理学的な取り組み、だそう。

で、プロセス指向心理学をここでは技法も含めてプロセスワークって呼んじゃいますけど、プロセスワークの中ではわたしたちを取り巻くさまざまな事象(精神的な問題、身体の問題、関係性の問題、組織の問題、紛争・戦争、社会問題などなど)は「困ったものだ。病理だ。なくそう!消そう!」という単一的なものではなくて、その事象そのものの中に、必要な情報だったり、気づきのヒントだったり、成長を促す体験だったり、問題そのものが答えだった...といったような、鏡のような性質を合わせ持つものである、という視点を持ちます。

その中で、一次プロセスというのが、既知のもの。二次プロセスというのが未知のもの。といえるかもしれないです。

すごいわかりやすい説明があったので引用しますが、

一次プロセス
どのように自分を自分であると認識しているか、自己イメージ、自分が知っている体験、自分の信じていること、モラル、価値観などに関係します。その人のアイデンティティー(自己同一性)、あなたは誰ですか?どのような人ですか?と言う問いに対する答えとも言えます。
二次プロセス
あまり知らない、なじみのない、その人を邪魔するような、ふつう無視/周辺化している事柄は二次プロセスに関係します。(身体症状、人間関係、その人に起ってくる事件など)


と、いう感じ。

よく経営者とか社長とか、いわゆるこの”合意された現実”の中で順風満帆に人生を送ってきてて、でも突然の「3とう」に見舞われて、大いなる気づきを経て、人格的にも人生的にもシフトしていく。という話があるじゃない?

「3とう」って、「倒産・闘病・投獄」のことらしいんだけど(笑)。

この、まさに「こんなことが自分の人生に起こるなんて!聞いてない!」って、これまで知っていた自分と自分の生き方を変えざるを得ない外部ショックのことを、二次プロセス、というわけです。

わかったーーーー?

よかった。わかっていただけて。共通言語があるとお話ししやすくって嬉しいです。

わたしは生まれたときから虚弱で、3歳まで生きられない、くらいの言われようだったのでずっと生きると死ぬの間で病気とともに生きてきたし、それなりの外部ショックも受けながら、わりとほうほうのていでやってきたでやんす。という自覚がある。それは「ひどい。なぜわたしがこんな目に」っていう感情はもちろん経過としてはあるんだけれど、でも慣れてくると「ああ、今は二次プロセスの最中なんだな」ってわかるようになります。

二次プロセスの間って、カオス。

今、わたしが、日本中が喪に服しているかのような痛みをひしひしと感じつつも、最初のnote.001に書いたように「興奮と高揚」があって、「自立した知性」を確立する(それが必要な人は、ですけれど)予感に満ちているのは、二次プロセス自体は悪いものではなくて、純粋な外部ショックであって、やがて統合へ向かう。

という、大きな流れの中にいることが、わかるから。

わたしひとりがいるのではなくて、今回ばかりは世界と一緒に、この二次プロセスを体験しているんだ......!という、うまくいえないけれど、そんな気持ちを感じているから。なのです(はっ、今度は”統合ってなに?どゆこと?”問題が。統合についても、わたしなりの定義があるのでまた今度)。


ところでnoteって、トップの画像がnoteクリエイターさんたちがシェアしてくれているストックフォト的なところからお借りできるの。すてきー。


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