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パパのオレ、オレになる?! 第5話

第5話 岐路

嫌な予感は的中した。

そもそも唐突な日程で、さらに、ミーティングスペースでなく会議室で面談、というところからしていい話なわけがないと思っていたけれど、その通りだった。

「秋山君、最近の仕事の状況はどんな感じ?」

どんな感じと言われても漠然としすぎてるし、日々報告してますと思いながらも、自分の抱えている大小3つの案件の概況を、頭をフル回転して整理をしながら答える。

「ありがとう。今日は、新しい案件についての秋山君の希望をききたいと思ってね」

せっかく考えて答えたことなんて意味がなかったかのように、次の質問をされる。しかも、希望と言われても、言ったところで希望が叶うわけではないことが空気感からビシビシと伝わってくる。

「わりと今の仕事は性にあってるなと思います。今は子供も小さいし、家庭とのバランスが取れることにも感謝してますし」と、暗にこのままにしてほしいという意図を込めて答えた。

「なるほど。秋山君としては悪くないという感じなのかな。ただ、会社としてはいま別のプロジェクトで秋山君の力を必要としていて、単刀直入に言うと、サブリーダーとしてそちらへの参画を考えてほしいと思ってるんだ。」

考えてほしいとか言いながら、おそらく拒否権はないんだろうなと心のどこかでは悟りながらも、もう少し話を聞かないとなんともいいがたいというモヤモヤも湧いてくる。

「今までの経験を生かして、住吉衣料のHCMシステムの基本設計のフェーズから参加してもらいたい。会社としては秋山君にぜひにと思っていて、個人的にも悪くない話だと思うし、新規構築の初めから今のタイミングで参画できるという機会も最近は減っているからまたとない機会で…」

ああ、始まった。たぶん内心で、俺があまり喜んでいない話だと分かっているんじゃないかと思う。そういう、自分にとって都合が悪いときは、課長の話はいつも以上に長くなる。

「で、いろんな家庭の事情もあると思うからすぐには難しかもしれないけど、考えてくれるかね」

演説がやっと終わった。

ここで詳細を聞いたら、ますます勝手に話が進んでしまう怖れがあるけれど、何も聞かないわけにもいかない、と葛藤する。

「場所は、大阪ですか?」

住吉衣料は大手だし、コンペに勝って大型案件を受注できたという話を社内の噂で耳にしていたので知っていた。

「東京に足をおきつつ、大阪にも足を運んでもらうことにはなると思う」

はぁー。この人は、こういうところがあるんだった。本当は大阪メインなのに、東京にいることを想定させるこの言い方。でも、確定しているわけではないから、一応「プロジェクトメンバーは、大阪ですよね?」と聞いた。

「そうだな。大阪の営業が受注した向こうの案件だから、メンバーは大阪中心というところになるかな」

「体制図とかはありますか?」

「一応、まだ課長以上のマル秘扱いなんだけど」と言いながら、課長はパソコンを操作して、画面を俺の方に向けた。

プロジェクトマネージャーは、知らない人だった。その右下に書かれていたプロジェクトリーダーの方は、一度研修で聞いたことがあるような名前のような気がした。サブリーダーの欄が空欄で、ここに俺の名前が入るのかもしれない。プロジェクト組織図のその他の部分も埋まっている部分と空欄の部分がそれぞれあった。

「所属は今のままですか?」

「事業部長は異動の方がやりやすいだろうと言っていたけど、秋山君の意見もきかせてもらうよ」

うちの会社では、部署ごとの売り上げとプロジェクトの採算を考えるのに、所属部署が大いに関係がある。まあ、部署間で人を貸し借りするときの計算方式もあるけど。だから、俺が希望したところで、プロジェクトの最初から最後まで東京の所属のまま、東京を拠点で仕事をするという可能性は低いはずだ。

そんなことを直感的に捉えながら、「入るとしたら、いつからですか?」と聞いた。

2週間後に基本設計のキックオフミーティングがあるから、そこからだとスムーズなんじゃないかと課長は言ってきた。2週間後!

「もちろん、オンラインもあるし、徐々にで構わないよ!」

はぁ…。言うだけの人は簡単だ。確かに、今は社内の会議はオンラインの割合もかなり増えた。だけど、プロジェクトを円滑に進めるためには、やっぱりある程度直接会う関係かどうかでやりやすさは変わる。個人的には結果にも影響してくるような体感もある。顧客の環境を直接見たり、顧客に実際に会って話をしたりするから掴めるものもある。

「ちなみになんですけど、もし家庭の事情とかで見送らざるをえなかったら、今のプロジェクトを継続という感じですよね?」

「秋山君の希望ならそうしてあげたいのがやまやまだが、会社としては、適材適所で一番活躍してくれる場所や成長機会を確保するという方針があるから、今後ずっとというのは難しい。そこは理解してほしい。ただ、最近だと個人の意思も重要視しないといけない世の中にはなってきてるから変わっていく可能性もあるけど、いかんせんうちの会社は案件ありきだからなあ。ただまあ、何事も飛び込んでみないと分からないし、秋山君の実力があれば…」

課長の話に形だけ頷きつつ、俺は『会社の方針には抗えないサラリーマンだ』という事実を突き付けられ、目が覚めた気がした。

それからもいくつかの質問をして、細かいことは把握できたものの「大阪で・約1年」という事実は変わらなかった。

気づけば会議室の時計が16:55をさしている。うちの会社では、だいたい5分前には会議室を開けることになっている。

課長はすぐに脱線する自分の長い話をきりあげ、最後に「なんでも聞いてくれていいから」と言った。時間のことなど全く気にせずに好きなことを話しているようで、見事に治めるこのスキルはいつもすごいと思う。

会議室を出て、パソコンを片手に持ちながら無機質な廊下を歩く。誰もいないことに安堵する。歩みが遅くなり、思わずはぁ、とため息が出てしまう。どうするかを考えないといけないのに、困ったという感じとため息しか出てこない。

それでもずっと廊下にいるわけにもいかず、自席に戻りパソコンに充電器をつないだ。画面を開けるとメール画面で太字になっている新着メールが3件ほど来ているのが目に入ったけれど、開く気になれない。定時まであと1時間弱か。

はあー。理沙にもなんて言おう。翔太の顔も浮かぶ。今日はもう無理だな、と思い、いつかやりたいと思っていた、デスクトップに散らかったファイルの整理をすることにした。

定時を数分すぎて、パソコンを閉じカバンに入れて、挨拶もそこそこに静かにエレベーターに向かった。駅前に向かう道のりでも何も考えられず、帰りの電車の中でも、きっと車内の誰よりもどんよりとしていた。おかげで、最寄り駅の改札を出てから理沙への帰る連絡を忘れていたことに気づいた。

「ただいまー。」
「パパーー!!」
理沙も玄関に出てきてくれた。「おかえり。あれ?早かったね。連絡くれてた?」

「いや‥」
俺のテンションがあまりに低い様子を見た理沙が「どうしたの?何かあったの?」と聞いてきたけど、「あとで話すわ。」というのが精一杯だった。
「どうする?お風呂でも入ってくる?」
本当はこのままソファーに転がってしまいたかったけれど、そうするともう何も出来なくなってしまいそうな気がして、働かない精一杯の頭で考えて「そうする」と言った。「翔太のお風呂は私が入ろうか?」理沙が言ってくれたことに助けられた気がした。「今日はお願い」。そう言って、気が付くと俺は、翔太のために大人にとってはぬるめの温度に設定されたお湯の張られた湯船に身体を預けて放心していた。

少し生気を取り戻して、脱衣所でゴシゴシと身体を拭いて下着だけを履き、ドライヤーのブオーーっという音を耳にしながら、無心で髪を乾かした。髪を乾かし終わり、Tシャツを着ると気分が少しスッキリした。

リビングに行くと理沙がご飯の用意をしてくれている。

「このままご飯でいい?」
「うん、ありがとう。」

理沙がフライパンからお皿にのせてくれたブリの照り焼きをテーブルの上に運んだり、翔太を子ども椅子にのせたり、食事の用意が終わってみんなで席について「いただきます」をした。

なんとなく、翔太がいつもよりおとなしい。何かを察しているのだろうか?俺を見た理沙が「少し元気になったね」と言い、まだ半分上の空で「多少ね」と答えた。「聞いた方がいい?聞かない方がいい?」と理沙が聞いてきて、うーん、と悩んだ。本当はもう少し自分の中で整理してからにしたいけど、遅かれ早かれ言わないといけないし、こういうことを言わないことを理沙はものすごく嫌がる。俺は、小さく心を決めて「課長から転勤の話を打診された」と打ち明けた。

「転勤!?」驚いたのか、おしぼりで翔太の口を拭いていた理沙の手が止まった。
「え、ほんとに?」
「別に引き受けたわけじゃないけど、ほとんど既定路線。」
「えー、なにそれー!」
理沙の反応に戸惑いを感じる自分と、やっぱり驚くよな、と2つのことを思う自分がいる。
「それで、なんて答えたの?」
「特に答えてない。」

大好きなコールスローサラダが自分のお皿からなくなって、翔太がフォークの柄をテーブルに叩きながら「おかーり!」と騒ぎ出した。理沙がその作業に集中するように、「はいはい。食べ終わったのね。翔太、これ好きだもんね。ママの分あげるから待っててね!たくさんサービスしちゃおっかな~」といつもよりもオーバー気味に言いながら自分のお皿から翔太の皿に次ぎ分けた。

しばらくして「後で家族会議だね」と理沙が言った。

翔太を寝かしつけた後、理沙が大人のお茶タイム用に常備している泉屋のクッキーとお皿をテーブルに用意し、コーヒーを淹れてくれて、二人でダイニングテーブルに向かい合って座った。

「今日、帰ってきたときこれまでにないくらい放心してたからびっくりしたよ。聞いて納得したけど。それで、もうちょっと話してくれない?まだ落ち着いてなさそうだけど。」

「あー、うん。」
どこから話せばいいものか?と思ってしまう。

「私から質問したほうがいい?」
「うーん、大丈夫」

どこから話そうかと考えて、俺は口を開いた。

「今日、課長に呼び出されて、大阪のプロジェクトへの加入を打診された。住吉衣料って知ってる?」
「うーん、聞いたことない。」

「大阪のわりと大きい会社なんだけど、前にそこのシステムを受注したって騒いでたんだよね。額が大きいから。それで、俺にサブリーダーにどうかって打診された。」
「へー。じゃあ、評価されてってこと?」

「それは正直なところ分からない。ほかに今動ける適任者がいなかったからっていう感じじゃないかと俺は思ってる。だけど、左遷とかそういう感じではないと思う。」
「で、場所が大阪なの?」

「たぶん。」
「たぶんってどういうこと?」

「いや、まあたぶん大阪なんだけど、明言はされていないというか…」
「どういうこと?」

「間違いなく大阪で働くことにはなると思うんだけど、課長は俺が東京にいたいのを分かってるからなのか、リモートで参画という手もあるって言われたけど、それは了承させるための話術だと思う。」
「東京にいてその仕事をやるっていうのは、本当にできないの?」

「うん、無理だと思う。」
「えー!どうするのー?!翔太もいるし。私、転勤なんて無理だよ。今この環境だから勤務時間もずらせてるのに。大阪に行くなんて考えられないし、ワンオペとかも絶対無理。」

理沙の口撃が始まった。気分がどんどん重くなってくる。

「えー!どうするの?」
どうするのって言われても、分からない。

それから理沙はべらべらと、翔太の子育てはどうするんだとか、ワンオペじゃ結婚している意味がないとか暴走し始めて、俺はますます気が滅入り始めた。

結局、理沙の意思としては「現状維持」が希望だということで、転勤の選択肢は彼女にはなさそうだった。俺も同じだったけれど、じゃあ断ろう、という風にはなぜか割り切れなかった。

なんとか理沙をなだめて寝室に行くよう促した後、俺はひとりリビングでテレビをつけてソファーに身を預けた。海外の野球やバスケットの結果をアナウンサーが抑揚をつけながら伝えてくる。その声をぼーっとききながら、俺はひとり悶々とした。だけど、俺はいったい何に悶々としているのか?何にひっかかっているのか?全然わからない。

「昇進」という単語が浮かばないわけでもなく、そりゃあ昇進したほうが給料はあがるし、ずっと立場や権限のないまま会社に居続けるというのも嫌だとは思う。だけど、昇進したいかと言われると、やっぱり「俺は昇進したいです!」という強い気持ちはない。じゃあ、昇進は関係なく大阪に行ったところで他に明るい未来が見えるかというと、そうでもないような気がする。行かなかったら未来は明るいのか?うーん…。少なくとも大阪に行くよりはましかもしれないけど、明るいかどうかはなんとも言えない気がした。でも、ふいに理沙と翔太の笑顔が浮かんできて、やっぱりこのふたりと一緒にいたいという気持ちだけは確かだと思った。

悶々と考えているうちに、ふと目を覚ますとテレビはすっかり深夜番組をやっていて、俺は、リビングの電気とテレビを消して寝室に行き、ベッドに身体を沈めた。

土曜日の朝6時に翔太に上に乗ってこられて起こされた。翔太は、なんで休みの日だけ自分から起きてくるんだろう。目は覚めたものの、気分が重い。朝からこんなに憂鬱なのは久しぶりだ。

それでも翔太を抱っこしてリビングに行き、翔太を左手の片手抱っこのまま右手でシェイカーを取り出して、プロテインの袋を開けてスプーンですくって粉を入れ、シャカシャカを翔太と一緒に楽しくやっていたら少し気分がましになってきた。

理沙は早起き習慣のリズムが狂うのを嫌がって、たいてい休みの日も6時前には起きているのに、今日はまだ寝ている。理沙にとっても昨日の出来事は精神的負担が大きかったはずだと、昨日よりは冷静に思えた。

とりあえず顔を洗って目を覚まして、朝食でも作るか。そう思ったらやっと自分が通常モードに戻ってきたような気がした。

事件は日曜の夜に起きた。

日曜の夜、ふたりで翔太の寝かしつけをした。平日はどうしても気ぜわしさがあるから、週末の寝かしつけはいつも以上に癒される。

寝かしつけが終わって、理沙は明日の保育園の準備をはじめ、俺はしばらくスポーツニュースでも見るかとソファーに座ってテレビを見ていた。すると、玄関に保育園バッグを持っていく途中で理沙が俺に「転勤の話、どうするの?」と聞いてきた。

考えないといけない、とは思っていたものの、週末まで仕事のことを考えたくなかった。だけどちゃんと考えるつもりではいたので、「まだ考えてない」と答えた。

すると、途端に理沙が「考えてないってどういうことよ!」と怒りだした。さらに、「考えてないって、なんでそんなに無責任なの?!」と畳みかけるように言われたことで、俺も怒りがこみ上げてきた。

「なんだよ無責任って!まだ考えてないだけで、考えないとは言ってないだろ!俺にどうしろっていうんだよ。」
「なにそれ。じゃあ、私にどうしろっていうの?!」

「どうしろもなにも、理沙、絶対行かないって言ってたじゃん。」
「だけど、会社が辞令出したらアツトは断れないかもしれないとか考えるじゃん!翔太が生まれる直前だって、炎上しているところに助っ人で入るの依頼されて、たぶん入らなくて大丈夫とか言ってたのに結局入って、3か月くらいほとんど終電みたいなときだってあったじゃん!忘れたの?結局、アツトがのらりくらりしてて、被害を受けるのは私なんだよ?分かってる?!」

「被害ってなんだよ!今回と前回を一緒にするなよ。俺だって一生懸命やってるんだよ。」
「一生懸命やってるって言ったって、さっき何も考えてないって言ったのアツトじゃん!」

「放置してるわけじゃない!俺だって大変なんだよ!」
「大変って、結局迷惑かかるのはこっちなんだよ?」

「迷惑ってどういうことだよ!なんで勝手なことばっかり言うんだよ。俺だって困ってるんだよ!」と、思わず口から言葉が飛び出した。
「困ってるからって、放置しておいていい話じゃないでしょ。結局土日の間もずっと、どうするのかなーって思ってたのに何も言ってこないし!」

「そんなに聞きたいなら、普通に自分から言ってくれればいいだけだろ。」
「だってアツトはいつも、何か考えてるときに邪魔されたくないって言うじゃん!だから待ってたのに。だけどさ、私の仕事にも関わるんだよ?心配にだってなるじゃん!」

「あー、分かったよ。俺が悪いんだろ。」

これ以上会話をする気がなくなり、「ごめん、今日はもう寝るわ」とだけ言ってテレビを消して寝室に向かった。もう何も考えたくなかったし、言いたくもなかった。

しばらくして隣に理沙が来て「おやすみ」と言われたけど答える気にはなれなかった。

全然寝付けなかったけど、時計を確認すると理沙に眠れていないのがバレるのがなんだか嫌で、スマホを見ることも出来ずに目をつぶっているうちに、いつの間にかいつもの目覚まし用のアラームが鳴った。

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