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箸と箸で食べ物を持つのはどうしてダメなの?

「こら!箸と箸で食べ物を持ってはいけません!」

食事中、母親が大皿から自分の箸で食べ物を取ってくれたので、自分も箸で受け取ろうとしたとき言われたセリフだ。
「どうして?」と聞くと「箸と箸で持つのはお葬式で火葬した人の骨を拾うときにやることだから、普段やるのは良くないんだよ」と言われた。
いまいちピンとこないまま「わかった」ととりあえず言ったのを覚えている。

時が経ち、人の不幸に関わることを連想させる言葉や仕草を避けることが、社会で生きていく常識の1つなんだと気づいてからは、実利的な意味では納得できた。

でも、本当にそれだけなのだろうか?
つまり、不幸な出来事を連想、箸と箸で食べ物を持つ場合はとどのつまり「死」を連想させるが、それを避けることだけが理由なのだろうか?

実はどうもそれ以外にも理由があるらしい。
その理由とは、2人が同時に同じ行為をする、あるいは同じ状態になることを嫌っているからのようだ。
ある地方では「2人が同時にものを言うと1人が早死にする」、またある地方では「2組の結婚式を同じ日にすると、1組は負けて別れるようになる」といった具合に、同じ行為をしたり、同じ状態になるのを忌む伝承がある。

では、どうして同じ行為をしたり、同じ状態になるのを嫌うのか。
それは、曖昧な状況が発生してしまうからなのだ。同時に同じことをしたとき、そこに差異はなく混沌として不安定な状態になっている。この状態を危険だとして避ける感覚があったようだ。

そういえば、曖昧という言葉を聞いて思い出したのが、夕方の薄暗く、昼でも夜でもない時間帯は「逢魔時(おうまがとき)、大禍時(おおまがとき)」とも言われ、字で見て分かるように不吉なことが起きやすいと思われている。
他にも、敷居を踏んではならない、畳の縁を踏んではならない(これらは諸説あるが)といった類の話も「境界」という曖昧なところに踏み入れることをタブー視している。

話が逸れそうなので戻すと、この「曖昧」を嫌うという考え方は、意外と私たちの日常生活に深く根を下ろして影響を与えているのだと感じた。

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