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民話ペディア② 『秘境ブータン』

小学生のとき、新しく赴任してきた校長先生が「みなさんは『ブータン』を知ってますか?」と全校集会でいきなり言ったものだから、その場にいた生徒の多くが一瞬ドキリと固まり、やがてザワつきはじめた。

なぜなら『ブータン』といえば、主にその特徴的な外見から全学年的に知られていた、ある男子生徒のあだ名だったからだ。

ブータン少年は当時、自分たちよりもたしか二学年くらい下の小学二、三年生だったと記憶している。そして彼は、その年頃の子供としてはかなり本格的に、まあちょっとびっくりするくらいに太っていた。

小学生の世界では「ちょっと体格いいかな」くらいのレベルでも簡単に「デブキャラ」として設定されがちだけど、ブータンはそんな範疇は明らかに超えていた。どこに出してもそれ以外に解釈しようがない、正々堂々デブそのものであった。

つまり『ブータン』というのは、その少年が丸々とよく太っているからついたあだ名だったのだ。ほぼ確実に動物のブタ、およびその鳴き声の漫画的表現などから安易に誰かが思いつき、それが定着してしまったに違いない。

だから「みなさんは『ブータン』を知っていますか?」と校長先生が言ったとき、ブータン少年を知っている生徒のほとんどは「あ、これは……?」と瞬間的に身構えた。

その頃、ちょうどイジメ問題のニュースが盛んに報道されていて、このタイミングで学校長自らが、そういったセンシティブな領域にオフィシャルに踏み込み「お前たちはこの太った少年を『ブータン』呼ばわりしてイジメているそうだな……」なんて糾弾してくるのかと思ったのだ。すくなくとも自分はそうだった。

「おいおい待ってくれよ」と私は言いたかった。

べつに我々は彼を「ブータン」と呼んでイジメているつもりはなく(この自己弁解自体がイジメっ子の言説そのもの、という居心地の悪さを当時すでに感じながらも)、とりあえず校長が全校集会で「たしかに彼は太っている。だがその身体的な特徴をからかうことは……」なんて説教をはじめる、その行為自体がブータン本人へのダメージは大きいだろうし、それによってむしろ典型的なイジメ構造に皆が落とし込まれてしまう不条理……なんというナンセンス……そんなことを考えていた、ような気がする。あの瞬間に自分が抱いた感情を現在の自分が説明すると、大体こうなる。

そんなわけで「ブータンを知っていますか……」という校長の問いかけにより、生徒たちの視線は一斉にブータン少年に向いた。漫画表現でいう所の集中線が、周囲からサーッと彼に走っているのがはっきりと見えた……ような気がする。

校長は生徒たちのその様子に戸惑ったのだろう。「あ……えーと、あれ」とか言葉が詰まって、話がなかなか先に進まなかった。というか、ほとんど誰も(すくなくとも私や私の周りにいた級友たちは)校長の話など真剣に聞いていない。ただ皆がブータン少年をじっと見つめている。そんな時間が流れていた。

しかしブータン本人はその衆目の中にあって、何も分かっていないような顔で、ただキョトン……とその場に立っていた。

振り切れた肥満……とはいってもやはり年端もいかない子供であるわけで、不摂生な脂と汗にまみれた成人男性型デブに多くみられるような不潔さだったり生々しさは彼になかった。

半袖半ズボンから生えた手足はプクプクとして色が白く、茹で上がった豚足のようにつるりとしていた。顔も丸々として、つぶらで黒目がちな瞳が可愛らしかったことをよくおぼえている。

🐷 🐖

あれから、それなりの年月が流れた。

自分が中学に上がる頃には、ブータンの姿を見かける事はなくなった。同じ小学校に通っていたのだから、彼の家も同じ地域にあったはずだ。学校で見なくなっても、近所で出くわす機会もありそうなものだ。なにせ、あれだけ目立っていた彼なのだ。すれ違いでもすれば、気がつかないわけはない。それなのにブータンは、すくなくとも自分の前からは、すっかり姿を消してしまった。

知らないうちに引っ越していったのか、それとも極端にやせて(あるいは普通レベルの肥満児にスケールダウンして)様変わりした彼をこちらが認識しなくなったとか、そういった予想もつく。地元に帰って聞き込みでもすれば、消息もつかめるかもしれない。でも別にそんなことはしない。いずれにしろ私は彼の本名すらおぼえていない。ただ「ブータン」というあだ名と、その佇まいだけが深く印象に残っている。

あの日の校長先生の話は、結局の所はもちろん、彼のあだ名に関する訓告ではなく、あくまで「ブータンという国」についての話だった。

「ブータンは国民の幸福度がとにかく高い」
「高地にある秘境で、人々はとても牧歌的な暮らしをしている」
「心優しく純朴な人ばかりなので、争いはまったく起こらない」
↑(本当か?)

たしかそんな内容だった。その時分、ブータンという国について書いた本が流行りでもしたのだろう。ためになりそうでならなそうな、そのスピーチを聞きながら、私はやっぱりブータン少年をじっと見ていた。

だから自分の中では、ブータンという国と、丸々よく太ったブータン少年のイメージが曖昧に混ざり合い、一緒くたになっている。

高い山の上にある、のんびりとした雰囲気の村。プクプクに肥えた少年が、赤っぽい毛織りの民族衣装のようなものを着て、ぼんやりと所在なさげに立っている。つぶらな瞳がいかにも純朴そうで、ほんのり笑っているようなその表情。斜面に作られた放牧地では、どこか野性的なブタであるとか、ヤギのようでヤギでないような高山ぽい家畜が飼われている。農作物が風に実を揺らし、彼の両親や兄弟がそれを収穫する。家の軒先で腰を下ろした祖父母がなにやら民俗的な楽器で奏でる、不可思議な郷愁を誘うメロディ。
とにかく彼と彼の家族の生活にはこれといった心配事もなく、とりあえずは腹いっぱい食べているのだろうと思われる。このままずっと幸せが、なんとなく続いていきそうな永遠の暮らし……。

ブータンはそんなイメージの秘境であり、あの日のブータン少年はきっとそこに、いまでも変わらずに存在しているんじゃないか。ふとした瞬間に私は彼と彼の国を思う。

そうやってブータンを思い出すことに別に意味はないけど、やっぱりときどき思い出しては妄想するのであった。

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