見出し画像

【7】天麩羅に学ぶ「質感」

昨日、天麩羅を食べていた時に考えていたこと。
どういうものが天麩羅で、どういう食感だから美味しく感じるのか。

揚げたての衣のパリパリ感、ふわっとした具、大根おろしを混ぜたつゆに付けたり、抹茶塩で食べたり…今まで食べたことのある天麩羅はこのような印象。衣が油でギトギトしていたり、具が硬かったりすると、途端に美味しさは半減。出来立てが美味しいことは間違いないのですが、冷めていてもパリふわが保たれていればおおよそ美味しく感じるかと思います。

この「パリパリ」と「ふわふわ」は、天麩羅における特徴であり、異なる性格が共存しています。私が思うに異なる性格が相まっているものほど、上手くできているなあとか、大袈裟な言い方だと融合してるなあとか、そういった印象を受けます。

曲作りにおいても言えることで、例えば…小川を表現した曲。どういう音がそのイメージに近いかを探ろうと思っても、小川だと漠然としすぎてパッと曲の構想が浮かばない…となると、それはどんな川なのかをまずは想像してみる。
小石が透けて見えるくらい透明だったり、メダカが泳いでいたり、少し大きめの石が川の流れを阻んでいたり、石には苔が生えていたり…。

「質感」というものに出会うには、実際に食べたり、触ったり、聴いたり…五感を使ってそれらを知る必要があります。それが何かを表現するのに大事な要素となり、自ずと自身の表現にも関わってきます。子供の頃はそれが自然にできるものですが、大人になるに連れ希薄になっていく感覚でもあります。身近なものだと、美味しいご飯を食べても感動しないとか。

若干9歳にしてオランダのアイントホーフェン工科大学の電子工学部に在籍しているという男の子が話題になっていた時期がありましたが、ご両親は様々な場所に連れて行き、経験させたと言っていました。まあ凡人には縁もゆかりもない話だと思われがちですが、持って生まれたものや同じような経験をする、させることは難しいにしても、その辺の茂みにですらアイディアは沢山転がっています。要は考え方次第でどんなものでもアイディアになり得るのです。
そんな私は天麩羅からインスピレーションを受けたわけですが…。

【7】天麩羅に学ぶ「質感」まとめ
パッとしない時は、身近なものにもアンテナを張ったり、刺激や感動を求めて表現のルーツに出向いてみる。


tohma

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?