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細く、長く、穏やかに

今年の夏は例年に比べて予定も多く、色々な場所へ足を運んだ。
人の多いところがあまり得意ではない私は、地方の静かな観光地をセレクト。行列に退屈することもなく、大体が予定通りに進む快適さは何にも勝る。

東北に出向いた理由は、ずっと購入を考えていた南部鉄器にある。オンラインショップを時折眺めながら、この色いいなあと思うばかりでなかなか購入にまで至れなかった。現物を見たい。その決断をしてから、宿を確保して小旅行の計画を立てるまで、そう時間はかからなかった。

南部鉄器「及富」にて購入した鉄瓶・陰陽「翡翠」とメロン風鈴
蒸気機関車の文鎮は息子にプレゼントしていただいたもの

片道5時間半程かけて北上し、予定より早く到着。工房で働く職人さんたちがみんな声をかけてくださり、工房周囲にあるものから何から話してくれるアットホームな雰囲気が印象的だった。
工房内には、売り物から試作品まで綺麗に陳列されていた。ネットで見た色味とは微妙に違って見えたり、置いてあった風鈴は、同じ商品でも音の高さが違ったり。しばらく眺めていると、店主が出てきて色々と南部鉄器の歴史やどんな用途でこの商品が作られたかなどなど、楽しそうに話してくださった。どれも魅力的に映る鉄器たちを前に、目当ての鉄瓶を尋ねると、在庫切れとのこと。持ち手のない現物を見せてもらうことができ、思っていたよりもずっと美しい発色に心奪われ、その色に決めた。
帰る間際、車で荷詰めをしているとお店の奥から翡翠の在庫が出てきたと店主が小走りで持って来てくださった。発送されるのを首を長くして待つ予定だったが、そのまま倉庫で忘れられることがなくてよかった。店主もわざわざ探してくださって、ありがとうございました。


長く続く歴史の中で、ものの需要や方向性が変わっていくことは必然であり、その中でどう作り続けていくか。作り続けることができるということは必然ではなく、その環境を保持していくための人々の知恵や努力の賜物である。
変わらないように見えていても、それは氷山の一角で、実は微妙に、少しずつ変化している。今日明日の感覚で同じものは一つとしてない。同じようで同じではないものを人に伝え、風化させることなく受け継いでいく。それは奇跡にも近いとすら思える。

たまに歴史に触れると、その重みと人々のつながりの濃さを肌で感じる。鉄器を持った時のずっしりとした重さは、その歴史も背負っているのではないかと思う。
お陰様でその鉄器は、何故今まで使っていなかったのだろうと不思議に思うほど、我が家で大活躍。鉄器で沸かした湯で淹れた珈琲は別格だし、熱伝導がよく湯が沸くのもケトルより早く経済的、なのに芯から温まるので冷めにくいといういい事づくし。

何となく昔のものは長持ちするし、使い勝手がいいと思っていたけれど、実際に使ってみて、それは確信に変わった。今の多機能な商品も便利でありがたいが、何かに特化した商品は無駄が少なく、寧ろスマートな使い心地だと感じる。
人々の生活の根源からピタリと合うようなフィット感は、南部鉄器ならではの感覚だとも思う。

https://oitomi.jp/


いつしか書いた焼き物の記事以来の備忘録、読んでいただきありがとうございました。

それでは、また。


tohma

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