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私の好きなもの

いつも夏が終わるとあっという間に年末が来る。まだ来てないけど。寒くなると思い出す。子供の頃、子供会の行事に参加した時だっただろうか。だだっ広い公園のど真ん中で、業務用の巨大な鍋いっぱいに作られた豚汁を食べたこと。プラスチックの汁椀に注がれたそれは、灰色がかった冬の空とは反対に彩り豊かで冷えた体に染み渡るほど美味しいものだった。

今回は何となく自身が好きなものが何なのかを思い出しながら書いていく。

祖母や母、いや、父もだったか、親族はわりと焼き物が好きで、実家の食器棚には色んな模様の食器がある。何年か前に、曽祖母の遺品の整理で大量の食器が出てきた時、何枚か持っていけばと母に言われたので選んでいた。衣食住に関わるものというのは、その時代を反映させるものだなぁと古くささを感じつつも、現代にはあまり見られないデザインについ時間を忘れて実家のロフトに篭っていた。なので、私もきっと焼き物が好きなのだと思う。

お酒が飲める歳になって、居酒屋なんかに行くようになるとまたそこで風変わりな食器や酒器に出逢う。飲み食いしつつも、その料理が置かれた食器が気になるようになった。

両親が四国に行った時に買ってきた徳利が青をベースとした綺麗なもので、私は一目惚れ。後日、昼飯にカップ焼きそばを啜りながら、忘れない内に徳島へ行きたい、今行こうと提案。家族を巻き添えにして弾丸で兵庫から徳島へ。私は小言を言いながらも着いてきてくれる家族がこの上なく好きだ。行った陶器屋で父が買ったものと同じ青の徳利とお猪口のセットともう一つ私好みの深緑のお猪口を買った。

店内はひんやりと気持ちよく、入り口こそ狭いものの奥に進めば、ずらりと並べられた陶器は圧巻。どれも全く同じ形ではなく、それぞれが個性を持ってそこに置かれていた。その時のことを何となく記憶を頼りに思い出してこの記事を書いているわけだが、私の作曲にも通ずるものがあるというか、寧ろ実はここから在り方を得ていたのではないかと思えるぐらい私にとって大事な場所だったのだと、ふと思った。

例えるなら、作った曲もまだ100曲あるかないかぐらいの作曲小屋に、色んな形の陶器(音楽)があって、それをガラス張りの玄関に所狭しと並べてお客さんを待っている。ひとり、ふたり覗いては帰って行き、またひとりやって来る。こういうものが欲しいのですが、と声をかけられ、できますよと答えて、また新しい形の陶器が一つ増える。小屋は大きくなくていいけど、小屋を出て色んな場所に作品を置きたいなあと思ったり。

陶器屋さんの雰囲気が好きで、大きくなくていいからこんな空間があればなあと夢見ていた。今はリビングで生活音混じりの中での作曲だけど、雰囲気というか空気感は似ているのでこれはこれでいい。ちょっと人がいる感じとか、その辺に子供が遊んだ後のおもちゃが転がっていたりとか。

何だか随分と長くなってしまった。下らない話にお付き合いいただき、ありがとうございました。


tohma

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