うつろな愛~運命をガイドするラジオ局2
運命の囁きかけって信じますか? 人生を左右する選択の刹那、どこからともなく聞こえてくる決定的ヒント……。そんな経験をお話しした前回の続編。
怪しげなバンドからの勧誘
それは'80年代。S-KENというバンドにキーボーディストとして入るかどうか、決めかねた時のことです。S-KENのファースト・アルバムはコロムビア・レコードから出ていて、東京ロッカーズという一大パンク・ムーブメントでは破格のバンドだそう。
赤坂のコロムビア・スタジオでオーディションを受けて合格したものの、私はそんなバンド、聞いたこともありませんでした。
遅ればせながら、目黒の鹿鳴館というライブハウスでのギグに呼ばれ、生演奏を聴きにいきました。繁華街のはずれの地下にある、お化けが出そうなベニュー。
観客はまばら、神経痛になりそうなほど空気は湿っぽく、音響は最悪で、歌詞が殆ど聞き取れない……。好きな曲はあるにはあったけど、終演と同時に逃げ帰りました。
それでも、メンバーはこぞって私に乗り気だとか。日を置かず、リーダー/ボーカルのエスケンから意思決定催促の電話がかかってくるのが憂鬱でした。だって参加するには、気に入ってたフルタイムの仕事を辞めなくてはいけないから。
英語が活かせる夢の仕事
大学卒業後しばらくは、大人の英会話教室に講師として勤めていました。やりがいはあれど、スケジュールがきつく、大変な授業準備はもちろんサービス残業。先生同士が仲良くするのは禁じられていました。
耐えきれずに転職し、子供を教える英語教室に替わりました。規模の大きなここは、打って変わって天国のよう。大の子ども嫌いだったのに、アシスタントの先生が保育のプロなので、難なく楽しめました。
キャリア・アップに役立つ各種無料セミナーが定期的に催され、忘年会などはホテルのバンケットルームで。福利厚生も充実しています。
先生同士がそのまま遊びグループになり、週末は誰かの家に泊まってパーティー三昧。年収も大幅アップし、夢のようなワークライフです。
確かに、メジャーでのレコーディングは中高生の頃からの目標。とはいえ、可愛い子どもたちと別れ、理想の生活と収入を捨てていいのか……。
究極の選択――。人生に何回かはあるんじゃないでしょうか?
返事を一日伸ばしにしてたら、ある晩遅く、エスケンから電話が入りました。「今、コロムビアのディレクターと、ベースのミツワと、最寄り駅まで来てる」と……。
「いよいよか」と悟りました。駅前の喫茶店で合流して話すことになりました。
これがその喫茶店。先日行ってみたら、まだそのままありました。店名は変わったかもですが……。
決断の瞬間
煙草の煙が充満する、混み合った店内。エスケン、ミツワ(レコード・ジャケットのスタイリストなどもしているセレブな女の子)、Aディレクターの3人が、交代で思い思いに口説き文句を語りました。
2時間くらいが過ぎたでしょうか。反応の薄い私を前に、さすがに言葉も尽きたよう。あとは私の決定に委ねるのみ、という雰囲気で、みんなが黙りました。
その時、店内の有線放送でカーリー・サイモンの「うつろな愛」がかかったんです。大好きな曲で、女性シンガー・ソングライターは憧れでした。
それを聴いて、スッと気持ちが決まりました。「この曲がかかったということは、やった方がいいってこと」と、なぜかすんなり腑に落ちて……。
現在でも多くのアーティストがサンプリングで使用する、'70年代のビッグヒット。ミック・ジャガーがバックコーラスを務めています。
結果は、「よかった」の一言。
マネージャーが代わったせいか、視察に行った時ほどショボいライブは一度もありませんでした。たいていは最先端のベニューで、観客は満杯。あの鹿鳴館は、なんだったんだろう(笑)
2012年、エスケンと。エスケン主催のパーティー "S-KENラウンジ@ダダティーク" にて。相変わらずお世話になってます。
考えたら、英語はあくまでも音楽をやっていく上での収入補助のため。それが本業になっては本末転倒なんだけど……。稼いだ経験が少なく、周りはエリート路線。親からの援助もなかったので、怖くて判断ができなかったんでしょうね。
バンドが儲からないおかげで、雑誌ライターや通訳などの副業も色々できたし……。そんな訳で、今に至ります。
人生に「もしも」はないけれど……
もしもあの時あの曲がかかっていなければ、今年アメリカのレーベルからアルバムがリリースされたり、小説が出版される私はいなかった気がします。
さりげなく、微かな運命からのサイン――耳を澄ませば、人生が変わるかもしれません……!
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