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動物園

「じゃあ、好きな動物を描いて1時間したら戻ってきてね」

解散。散らばっていくクラスメートは、数人ずつグループになってお目当ての動物へまっしぐら。わたしは、今日初めて動物園という場所に来た。色んな匂いがするし、わりと刺激臭。鼻の奥がむずむずしてスンスン鳴らしちゃうのが止まらない。

さっき一通り先生に連れられて見て回った時に、わたしもお目当ての動物は決めていた。少し不安だったのは、わたしが惹かれた動物には、クラスメートの誰も興味が無さそうだったこと。

案の定、逆方向へ歩いているのは、わたしだけだ。先生は言った「好きな動物を描いて」と。その通りにしてるから大丈夫。きっと。うん。

初めての動物園は、図鑑の中にいた生物が実在したことの驚きと、想像以上の大きさや質感で、この気持ちを言葉にしたくても、まだわたしの中にその言葉の表現が無いのがもどかしいし悔しい。早く、大人になりたい。

そんなこんなで1時間経過して、描き終えた画用紙を自分でもう一度見た。

全然、違う。こんなんじゃなかった。拙いのは言葉だけじゃなくて、絵もそうで。伝えたい事は、こんなにあるのに、表現が伴わない。わたしの惹かれた動物は、もっとすごい、かっこよくて、不思議で、んんん、すごく変だったのに。でもまぁ、仕方ないよね。やれるだけ描いたし。

先生に渡しに行った時、一瞬先生の顔が歪んで見えて「あれ?」と思った理由は、1週間後の授業参観でわかった。

この間の動物園での写生の画用紙は、教室の後ろにビッシリ並べて画鋲で止められている。太陽が輝く空の下で。ゾウさん、キリンさん、ライオンあたりはやっぱり人気で数も多い。あ、この子センスいいなぁ、かわいいピンクのフラミンゴ。

無かった。わたしの描いた絵だけ、無かった。

重くてドロドロした何かが、体の中にドーンと居座って、なんで?の一言が口に出せない。間違えた?何がダメだったのかがわからない。

お母さんが探しているのがわかった。わたしの絵だけ無いから。首を傾げて、何度も探している。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、なんでかわからないけど、わたしは間違えたみたい。ごめんなさい。

授業参観が終わって三者面談になった。

先生から、わたしとお母さんに告げられた報告。

「あの……えぇと……〇〇ちゃんの絵なのですが、コウモリを描いていたんですね。黒と茶色のクレヨンでね。えぇと、まぁ、見てもらえばわかると思うんですけど、みんな、ね?もっと、明るい色をいっぱい使った絵を描いているでしょう。コウモリはね、展示場所も暗いですし、そんな所に1人で1時間もいたなんて、ね」

教育委員会へ参考資料として送付されたと。戻ってくるかどうかはわからないと告げられて、その日お母さんとわたしは無言で手を繋いで帰った。

申し訳なさと、恥をかかせてしまった自分が情けなくて、家が見えてきたことで気が緩んで、逆に唇を噛みしめたら血の味がした。少し塩気のあるそれを舌で感じた瞬間、涙が出てきた。

「ねぇ、なんでコウモリを描いたの?」

だって。好きな動物描いていいって、先生言ったの。みんなと同じの描けなんて、言われてないの。

「うんうん、そうだね。じゃあ、コウモリが好きな動物だった理由はなぁに?」

だってね?だって、逆さまなんだよ。ひっくり返ってるの。鉄棒で逆上がりするでしょ?わたしあれだけで、頭クラクラしてしばらくフラフラしちゃうのに、ずっとずっと逆さまなんだよ?苦しくないの?生きにくそう。不思議でしょ?しかもね、あんなに真っ暗な中で飛べるしぶつからないんだって。超音波って言うのでぶつからないんだよ?すごくない?あとねあとね、鳥でもあり動物でもあるんだって。どういうこと?こんなに不思議な生き物がいて、好きにならないことある?

「そっかぁ。不思議なものが好きなんだね。それはとてもステキなことだね」

お母さんはそれだけ言うと、繋いだ手と反対の手で頭を撫でてくれた。

わたしの描いたコウモリは帰ってこなかった。

20歳を過ぎて、ふと思う。コウモリでなくてもよかった。ゾウは耳と鼻2つも特徴があってやっぱり変な形をしているし、キリンだってどう考えても造形がおかしい。不思議な生き物って事で言えば、コウモリでなくてもよかったのに、あの頃この地球上で生きにくい選択をしていたのは、わたしの方だった。

夕暮れ色に空が染まり、コウモリが飛び交っている。コウモリは当たり前のようにそこら中にいて、聞こえない音を出して夜に舞っている。ゾウとキリンは仲良く庭を横切り、月の見える丘を目指してライオンがのっそりと歩いている。

車の中から不思議な動物たちを見ていた。人間が見ているのか、動物が見ているのか。境界線は曖昧で朧気なまま、ナイトサファリは密やかに濃密な匂いを撒いて、夜明けを待っていた。

日常の延長に少しフェイクが混じる、そんな話を書いていきます。作品で返せるように励みます。