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新秩父宮ラグビー場の建設に思う

 2/3(土)に秩父宮ラグビー場でクロスボーダー・ラグビーを観戦に行った際、新・秩父宮ラグビー場構想についてビジョンが流れた。もともとは国立競技場の老朽化から始まった神宮外苑地区の再開発事業ですが、その開発計画が遅れていることをご存じでしょうか?主な要因は、活動家や著名人による樹木の伐採への反対運動です。東京都は昨年の9月に事業者である三井不動産や明治神宮などの4社に神宮第二球場周辺の樹木の伐採を始める前に、伐採本数を減らすなどの樹木保全の具体策を示すように要請したのです。樹木の伐採は9月に始まる予定でしたが、待ったがかかったのです。現在、第二球場の解体はほとんど終えて、樹木だけが残っている状態ですが、その第二球場の跡地に建設予定の新秩父宮ラグビー場はこの先、どうなってしまうのでしょうか。
 そもそも旧国立競技場と同様に秩父宮ラグビー場や神宮球場は、戦前から戦後直後に建てられており、築年数はそれぞれ「77」と「98」です。以前から漏水や腐食、亀裂などの老朽化をはじめ、他にも様々な問題や課題を抱えていました。世界各国には素晴らしいスタジアムがあり、英国のトゥイッケナム・スタジアムはラグビーのイングランド代表のホームスタジアムであり、最大82,000人を収容できる世界最大のラグビー専用スタジアムです。グラウンドと観客席が近く、ラグビーの臨場感を満喫できる素晴らしいスタジアムですが、開場は1909年で当初は20,000人収容のスタジアムだったようです。その後、改修が行われ、現在の姿となりました。ちなみにサッカーの聖地はウェンブリー・スタジアムで、ラグビーはトゥイッケナム・スタジアムとフットボールの母国らしく、それぞれの専用スタジアムを有しています。日本は相変わらず、陸上競技場をつくって真ん中のフィールドをラグビーやサッカーに使用しているため、まだまだ、フットボールの環境としては後進国と言わざるを得ない状況です。座席幅が狭かったり、全席にドリンクホルダーがなかったり、手荷物を置くスペースもなく、狭すぎるコンコース(歩行者通路)、車いすスペースやトイレの不足、来訪者のためのオープンスペース不足など問題が山積しています。現在の秩父宮ラグビー場は25,000人の収容可能ですが、新秩父宮ラグビー場は15,000人にして問題の解消に努めるようです。新秩父宮ラグビー場が日本代表のホームグラウンドとなるのかどうかはわかりませんが、陸上競技場である国立競技場を日本代表のホームグラウンドにするのはやめてほしいところです。やはり、ラグビー専用スタジアムを日本代表や日本ラグビー協会の本拠地にして聖地にふさわしい場所としてリーグワンの決勝が行われることや名門大学の試合(早明戦、早慶戦、大学選手権決勝など)が行われるなどまさに聖地にふさわしい場所としてほしいです。
 関東ラグビー協会は、昭和22年頃から新しい専用ラグビー場を建築すべく、候補地捜しをしました。そのような中、明治大学出身で協会理事であった伊集院浩 氏が見つけてきた土地が、現在の秩父宮ラグビー場、当時女子学習院の焼け跡で、アメリカ軍の駐車場になっていたこの地でした。香山蕃理事長(当時)の戦災火災保険金と各大学OBの浄財等によって、建設資金のめどがつき、ラガーマンの汗の勤労奉仕が加わり、昭和22年11月「東京ラグビー場」が完成しました。「その集めた資金は血のにじむような尊い結晶でありました。あるものは時計やカメラ、またあるものは家のじゅうたんを売ってひたぶるに自分たちの心のふるさとを築き上げようという情熱に燃えた。工事が始まったある日、雨の降る中、秩父宮様が来られ、ご病身をかえりみずゴム長ぐつを履かれて励まし下され、鹿島の関係者に“ラグビー協会は貧乏だからよろしく頼む”と頭を下げられました。私は流れる涙をこらえることが出来なかった」と後日、香山氏は毎日新聞の中で感動的に綴っています(秩父宮ラグビー場の歴史から)。そんな先達の苦労から始まった今の秩父宮ラグビー場の場所が変わるのは寂しいですが、日本ラグビーの発展のため、新秩父宮ラグビー場は先達の思いを引き継いで立派な日本ラグビーの聖地として建て替えていってほしいです。


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