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福岡で屋台復活の秘密

 福岡の夜といえば屋台。移動式店舗の地べたで繰り広げられる食文化と歓楽街のネオンが何とも言えない情緒を醸し出し、日本のよき食文化の一翼を担ってきました。しかし、福岡の屋台は減少の一途をたどり、寂しいことになっていました。今、福岡の屋台が復活、経済効果も12年で2倍増の104億円となり話題となっています。地方活性化のヒントとなるかもしれません。
 最盛期には400軒以上あった福岡市の屋台は4割ほど減り、今では160軒ほどになってしまいました。その原因は屋台営業者の高齢化と行政の規制です。屋台営業主の高齢化が進んでおり、子供はその大半が別の仕事に携わっているので後継者がいない。よき日本の食文化とその風景が消えようとしていました。
 福岡県警は1995年に道路での商売を禁止する道交法の原点に戻り、新しく開業しようとする屋台には道路を許可しない方針を打ち出していました。福岡市も2000年に歩道の確保やごみ処理の仕方などを定めた指導要綱を策定し、屋台営業者が営業に必要な道路を占有する許可権を他人に譲渡することを禁じています。配偶者や子供への譲渡は例外的に認めますが、新規参入の道を閉ざしました。その結果、市の要綱が施行されてから承継された屋台は4軒だけで約30軒は姿を消しました。
 この間、福岡市は2016年から隔年で4回の公募を行いました。回を追うごとに広報に力を入れ、募集期間を長く設定するなど応募しやすい制度に改善してきました。第3回までの公募で福岡市全体37軒の屋台が新たに誕生しましたが、長浜では公募をしても新たな屋台が生まれませんでした。
 この流れが変わったのは2022年の第4回公募でした。長浜ではグループ応募(複数人による申し込み)が可能となったこともあり、かつての長浜の屋台の賑わいを取り戻したいという意欲溢れる30歳台の営業者が名乗りをあげました。そして新規7人の営業者が選ばれ、平均年齢は37歳でラーメンだけではない多様な料理を展開する長浜屋台街として復活することとなりました。
 周辺環境の整備が進んだことも屋台街復活の背景としてありました。移転前の長浜の屋台は2m以上の歩道幅が確保できず再配置の対象となっていました。移転先の道路の拡幅が行われたことで市内の交通渋滞の改善と同時にその後の周辺マンションや商業の立地にもつながりました。その結果、人口増加や商業施設の誕生で人の流れがさらに波及しました。また、屋台の衛生面でも上下水道が完備されておらず、たびたび周辺から不衛生との指摘がされていましたが、移転先では屋台用に上下水道や電気設備・公衆トイレを整備されています。これによって歩行者の通行が妨げられないのはもちろん、流水で皿やコップを洗浄できることとなり衛生面も向上しました。周辺インフラの整備は屋台にとっても利用者にとっても良い効果をもたらしたのです。
 福岡の屋台が復活した背景には長浜にみたように町の変化があると考えられます。さらに「ブランドの構築・活力の維持」を目標に地元生産物の消費拡大を図り、新たな活性化ゾーンを設ける取り組みも始まっていたので多くの市民やインバウンド客も集う場所となりました。まちの変化によってまちの魅力が向上し、屋台もまちの魅力アップに貢献することができれば相乗効果で他地域とは違う新たな独自屋台文化の創出も期待できます。他地域が屋台に規制を続ける中、まちぐるみで環境を整備した結果、福岡の希少価値はますます高まっています。

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