所感

 はじめに予防線を張っておこう。おそらく今日は、あなたにとって癇に触るようなことも書く。申し訳ない。

 何の話かというと、BUMP OF CHICKENにかんする先週からのできごとについてだ。

 件の報道から1週間が経って、バンドの当面のあり方についてひとまずの結論が出たらしい。3人で活動していくと。
 率直な感想。たぶん妥協点として一番もっともな選択肢である気がする。それから、何よりもバンドが続くということに心底からほっとしている。
 もしこれで解散というようなことになっていたら、わたしはきっと、いろいろな人をゆるせなかった。チャマ本人も、週刊誌の記者も、相手も、ほかのメンバー3人も、とにかく、今回のことに関わる全員をゆるせなかったのではないかとおもう。

 ゆるせなかったかもしれない、と考えたところで、ああわたしはやっぱりただの身勝手なファンだなと自覚する。

 ここ1週間、SNSなんかで散々ほかの人のことばを見てきたけれども、わからなかった。この件について、わたしが何に対してどういう感情を持ちうるのかということが、わからなかった。

 不倫という行為そのものは、一般常識に照らして悪いだろうが、個別の事象だとか感情なんかは当人にしかわからない。わたしがそれによって直接傷ついたわけでもなんでもない。だからそれに対して怒る権利も、許す権利も許さない権利もわたしにはないと、報道を見た時おもった。ばかなことをするなあと呆れはしたが、それ自体は「ああ、そうなのね」で終わる話だったのだ、正直にいえば。

 それなら今度は、この件を語った女性とそれを報じた週刊誌に対して、あるいはそれを見て本人やバンドを叩くような発言に対して、怒りを覚えうるだろうか。これは少しあったかもしれない。明らかに倫理的に誤った行動であっても、それを煽情的に取り上げてあげつらうように扱うのには辟易する。とはいえそういう苛立ちだとか不快感は、今回の件については本質的なものではなかった。

 じゃあ、随分長いこと聴いてきて今なお好きなBUMP OF CHICKENというバンドが、その名前が、今回の件で傷つけられてしまったかもしれないということに対してはどうか。報道を見てBUMPに悪いイメージを抱く人、嫌悪感を持つ人、離れて行ってしまう人。間違いなくいるだろう。好きなものを傷つけられたのだから、その原因を作ったチャマに対して、わたしは怒りとか悲しみとか、そういう感情を抱いてもいいんじゃないか。チャマにとってバンドがその程度のものだったのか、少し考えれば自分の行いがどんな結果をもたらすかわからなかったのか、メンバーや曲がだいじじゃなかったのかと、そういうふうに怒る権利はあるのかもしれない。
 けれども、わたしにはその感覚もどうやら薄かった。いや、報道を見た日にはそんな考えが頭の隅にちらついていたはずなのだが。
 不倫それ自体にかんして当人にしかわからないことだとさっき書いた。結局それと同じじゃないか。どうしてバンドのことになったら、本人の心境もバンド内のことも何も知らないのに責められる?

 それで、わたしがこの件にかんして言いうることはほんとうに何もないような気がしていた。そこにメンバー3人からの発表があって、心底ほっとすると同時に、冒頭書いたように、もしバンドが解散を選んでいたらゆるせなかっただろうとおもうに至って、畢竟じぶんは身勝手なただのファンだということを今さら自覚したのだった。

 わたしはBUMP OF CHICKENというバンドが好きで、彼らの音楽が好きだ。彼らが実際のところどのような人であるとしても、これまでにBUMPの音楽を聴いて抱いた感情だとか、心が動いた瞬間だとか、ライブで受け取ったものだとか、それらが否定されるわけではまったくなかった。BUMPに対する世間一般のイメージがどうであろうと、わたし自身とBUMPとはただ単に彼らの曲を通じて接するのみであって、そこに変わりはなかった。
 ただ、そのバンド自体が完全に失われてしまうとしたら、それはわたしにとっても無関係ではなかった。
 結局、じぶんに関係のあることでなければわたしは怒ることも悲しむこともできなかった。そういう意味で、身勝手なただのファンだと、わたしはじぶんのことをそうおもう。

 だからひとまずは、彼らがバンドを続けると決めてくれたことを、ぎりぎりではあるが一応の救いとしてよろこびたい。今さら感傷に浸ることも、歌詞を引用してじぶんに酔うこともするまい。

 4人も、スタッフや周りの方も、まだ決して楽ではない局面にいるだろう。くれぐれも健やかであれ。

書くことを続けるために使わせていただきます。