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遍在と偏愛:くるり「天才の愛」を聴く

 難しいことを考えなくても、言葉を並べ立てて説明しなくても、良い音楽は良い音楽なのだ、と開き直りたくなっている。
 その一方で、好きなものについてはやっぱりどうしても何か言いたい。 

 くるりの最新アルバム「天才の愛」を聴いた。
 端的に言って名盤だと思う。
 全体的に聴いていてとても心地がいいのは、それだけ美しい音の積み方やいい音色を追求した賜物なのだろう。平均律ではなく純正律の調性を試みた話などもインタビューで読んだけれど、私自身の知識が乏しいのでそのあたりにはなかなか踏み込めないのがもどかしくもある。

 と言いつつ、理論的なことがわからなくても(わかる努力はしたいところだが)このアルバムは面白い。

 1曲目、「I Love You」の浮遊感と現実感が同居している不思議な幕開け。朝の街を歩いて通勤しながら、あまりすっきりしていない頭の中であれこれ考えを巡らせているイメージ。というか、最初にこの曲を聴いた時のシチュエーションがそれだったのだけど。
 「天才の愛」というアルバムタイトルなのに、その1曲目の歌詞に出てくる人物がすごく凡人らしいのが良い。「君のこと 護るはめになっても」という1行の妙な哀愁というか、どうしようもなさみたいなものが愛おしいと思った。それでいてアンサンブルとかコーラスの重ね方が巧妙なので何かしてやられた感がある。この浮遊感で「気分次第で立ち止まって 迷って 笑って過ごしたい」からの「伸び切った雑草 子どもたちの匂い/心配性な君のこと思い出す」なんて歌ってしまえる軽やかさもまた良い。「ほなせんど 食い散らかせよ」っていう語感も良い。

 天才の愛は、ごく普通の人から見たら一目ではそれとわかりにくくて、滑稽で不器用にも思えるようなものなんだろうか、などとそれらしいことを考えてみる。しょうもない日々の暮らしの至るところにそれはあって、どうってことないのに気づいたら捨て置けない類いのもの。よくわからないが。

 「潮風のアリア」は、タイトルの通り水平線に向かって海からの風を受けているような、開けた曲調、力強い音像。間奏のギターの音が豊かで好きだ。このアルバムの中では、他の曲と比べて歌が前面に出てきていて、歌謡曲みたいなメロディの強さがある気がする。歌詞もとてもきれいだ。「彼方」とか「あなた」「数多」「たまたま」とか、フレーズの頭でアの音が作る響きが柔らかい。
 終盤、さらりと歌われる「思い出と生き方はいつも釣り合わないものだ」という一言が妙に心に引っかかっている。

 そこから「野球」でぐるんと景色が変わって球場の中。応援曲らしい高らかなトランペットと「オイ!オイ!オイ!」という掛け声。歌が始まって笑ってしまった。往年のスター選手から現役のヒーローまで、年代・球団に関わらず野球選手たちの名前が立て続けに呼ばれ、「かっ飛ばせよ」と声援が飛ぶ。そういえば、歌詞カード(ブックレットと言うべきか)のクレジットのところに曲名の英訳も書かれていたが、この曲はただのbaseballではなくて「Japanese Baseball」だった。なるほど。
 カキン、カキンと鳴る打球の音が小気味いい。合いの手のようなコーラスも心地いい。間奏で疾走感のあるギターロック調になるのも気持ちがいい(「すけべな女の子」とか、「オールドタイマー」とかをちょっと連想した)。ドームの中ではなくて、頭上に青空の広がる球場を思い浮かべる。これぐらい振り切っている音楽がもっと世に溢れてもいいような気がする。

 「益荒男さん」はシングルで配信された時からかなり気に入っていた(ロシアとか東欧、バルカンあたりの音楽が好きなので、その要素が入った曲に弱い)。それから、くるりの曲で言えばLiberty & Gravityなんかもそうだけれど、ちょっとふわふわした、日本的なのか西洋的なのか判別しづらいリズムとメロディとコード感の曲というのはなんだか癖になる。
 そこに川上音二郎へのオマージュが入っていたり歌詞の内容が風刺的だったりして、えらい情報量だがそこがまた楽しい。それにしても言葉の並びが独特だし、洒落になっていたり韻を踏んでいたりで呪文のようなのには笑ってしまう。元になっているオッペケペー節からの引用も「米価騰貴の こんにちに/細民困窮 省らず」とか「おめかけぜうさんごんざゐに」とか、絶妙なフレーズを持ってくる。毒気のある歌詞なのに語感というか雰囲気で口ずさみたくなってしまうのが流行歌の凄いところらしい。

 くるりの楽曲はいろんなジャンルの音楽を取り込んでいてバラエティに富んでいるが、その中でもこのアルバムはいつにもまして国籍・ジャンル不詳だなという印象を持った。「ナイロン」「大阪万博」「watituti」「less than love」と続く、ジャズと民族音楽の混じり合ったような曲、インストやスキャットで構成された曲の並びが、その印象を強める。

 「ナイロン」のメロディへの歌詞の乗せ方がかなり好きだ。ジャズ調のアンサンブルに、日本語と英語と、なぜかチベット語の混ざった歌詞(シャングリラ以外の単語が何一つわからないので試しに検索したらチベット仏教についての論文が出てきた)。夢の中でどこか外国の寺院に迷い込んだ時のような気分。「拾弐種類の風に乗り」で12音音階を連想して、なんだかこの曲も不思議な音階だなとぼんやり思った(知識が乏しいと連想がその先に進まない。無念)。

 「大阪万博」は、2019年のライブで披露されたのを聴いた時からもう好きな曲だったが、改めて傑作だと思う。
 大阪の万博記念公園には何度か足を運んだことがあり、太陽の塔の中にも一度入ったことがあるので、私の中でこの曲の音像はあの独特な空間と結びついている。生命の樹を見上げた時、あれ全体が一個の生き物であるような気がしてなんだか途方もない気分になった。原始のエネルギーというやつか(よくわからないが)。
 ジャンルでいえばプログレだろうか。「Tokyo OP」の変拍子と比べるとこちらのほうがわかりやすいところはある。とはいえ一筋縄ではいかず、途中の不規則に波打つような展開、混沌としたアンサンブルが何か得体の知れない生き物のようだし、そこからまた曲調が変わってピアノの音が上っていくところはクラシック音楽(岸田さんも好きだというバルトークとか)を思わせるところもあったりして、やっぱり国籍不詳だ。なるほど確かに万博の曲である。
 バルトークが東欧の民謡を収集していたという話からの連想もあるのだけれど、くるりの音楽はそれ自体がある種の民俗学・民族学の試みであるように思えることがある。クラシック、国も地域もバラバラな種々の民族音楽、プログレ、ジャズ。それらを取り込んで嚙み砕いて自分のものにしてひとつの曲に昇華してしまうのだから、物凄いことをやってのけていると思うのだけれど、出来上がった音楽にしかつめらしいところがなく、とにかく面白いのだから恐れ入る。

 「watituti」には「なんなんこれ!」と笑ってしまった。いちおう「wati-tuti!」という歌詞はあるがほぼインスト曲。これもプログレと言って良いのだろうか。喘ぎ声のようなのが入っていたり、ベースが格好良かったり、細かく入っているサンプリングらしき音が面白かったり、なぜかクワイア的な歌声が入っていたり、かなりのカオスだが色々と楽しい。
 この人たちはほんとうに、ただただ音楽が好きなんだな、というのが、この曲に限らずアルバム全編から駄々洩れていると思う。すがすがしいくらいの音楽への偏愛。
 天才の愛。音楽への偏愛をもって、そこかしこにある宝物を拾い集めて磨き上げる、あるいはそういう過程だろうか、などとまたもっともらしいことを考える。そんなことを考えなくても、この音楽はたのしい。

 「less than love」もインストの曲。メロディラインになんとなくアラビアを感じたかと思うとスウィングふうになったり、また国籍不詳だ。管楽器の後ろに水音のようなのが流れていて、ちょっと「THE PIER」を思い出した。早朝か夕暮れかわからないが藍色の空と海を見ながら歩いているイメージ(これは私が勝手に「THE PIER」の中のいくつかの曲について抱いているイメージである)。
 トランペットのファンファンはこのアルバムを最後にくるりを脱退してしまったけれど、くるりの曲で鳴っている彼女のトランペットはほんとうに良い。このアルバムでも、この「less than love」だけでなく、1曲目の「I Love You」から最後の「ぷしゅ」まで、軽快さや爽やかさ、剽軽さも、壮大さ、優しさも、その音が担うところはとても大きかった。ファンファンのいるくるり、とても好きだったな。

 「」で久しぶりに歌が出てきて逆にびっくりしてしまった。これもすごくきれいな曲だ。ゆったりした三拍子は寄せて返す波に似合う。音色やメロディの雰囲気、文語体の混じった歌詞のせいか、「宿はなし」に重ねて聞いてしまったりもした。「天才の愛」には全体的にすごく新しい出会いの感覚があると思っているが、こうやって馴染み深い要素が覗くのも、それはそれで嬉しい。波間に光るしぶきを眺めているような心地よさ。

 次の「コトコトことでん」も、曲調はまたがらりと変わるがのんびりしたテンポの曲。これ、とても好きだ。Homecomingsの畳野さんの声もやわらかくてほっとする。全体的に丸っこい音も可愛らしい。「大阪万博」とか作ってるのと同じバンドの曲とは思えない、ほんとうに(褒め言葉である)。
 話は変わり(曲にもことでんにも関係のない話題で申し訳ないのだけれど)、聴きながら自分の地元の電車を思い出してしまった。学生の頃、授業が早く終わった日だとか、春休みの平日の午後の早い時間、人が少ない時に、さらに人の少ない準急とか鈍行に敢えて乗って、陽だまりになる位置に見当をつけて座って、うたた寝したりぼんやり外の風景(駅周辺以外はほとんど田畑だった気がする)を眺めたりしていた。あの車内の空気が思い出されるような曲。
 ああ、鈍行列車で遠くへ行きたい。ことでんにもいつか乗ってみたい。無理矢理まとめるなら、そういう気持ちになる曲だ。

 最後の「ぷしゅ」がまた良かった。1曲目の「I Love You」では缶チューハイだったけど最後は缶ビールと枝豆で終わるのだね。
 歌詞の英語の部分は世相を映したようなところがあるものの、悲壮にならないのがいい。「Downtown should be light on」はちょっと最近の動きとタイミングが合いすぎて苦笑してしまったけど、いや、ほんとうにその通り。
それとは関係ないのだが「don't let me」って「ドレミ」に聞こえるんだなと思った。
 この曲も独特なのにちらほら懐かしいところがある、と思ったら、「目が覚めてMonday」のメロディが「愉快なピーナッツ」みたいだったり、途中「Amamoyo」を連想するような音色とかコードが(たぶん)あったり、国籍不詳パートに「Liberty & Gravity」に通じる要素を感じたりしていたらしい。ダンスミュージック風かと思いきや何だかヘンな拍子になっているのもやっぱり只者ではなかった。
 それにしても、ほんとうに気持ちのいい音楽!
 悲壮にならないのがいい、とさっき書いたが、悲壮にならないどころか、聴いているうちに何か目の前を覆っていたものが晴れていく気分になる。いいなあ、音楽というのは。

 最後にぷしゅ、と思い切りよく缶を開ける音がした瞬間、心の底から、音楽って最高だと思った。
 それと同時に、わからないなりにわかったような気分になる。そうか、これが天才の愛か、と。

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