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人生を変えるストーリーの世界の扉を開く



ある日突然「君は、営業の仕事だけしてください」といわれました。
どういうこと?
そうか、文章は、誰でも書けると…。そ~なんだけれどね。(なんかもやもや)
 
会社の広報部は大人数ではないんです。
すべての人が営業であり、デザイナーでありライターなのです。
その中でも、紙面構成が得意な人、文章を書くのが得意な人がいます。
私は、入社以来、文章担当の仕事をしてきました。

 

書く事を始めたきっかけ



記事を書くことを教わったのは、父が応募した地元某N○○放送局のニュース番組のアシスタントに受かったのがきっかけでした。
これは、今も変わらないと思うのですが、N○○局員以外で、画面でニュースなどを伝えたり、何かを紹介したりしている方々は、視聴者の代表という位置づけなんだそうです。
取材では、普段なかなか入れない工場や酒蔵などにも行かせていただきました。
勤めて半年ぐらい経った頃でしたでしょうか。
ニュース記事を書いている上司に今回記事を書いてみろと言われました。
「作文が書けたらできるから、毎日原稿読んでいるだろう。」って。
でも、実際どう書いていいのかわからないのです。
 
ニュース原稿は、最初「リード」と呼ばれる部分があります。
大体10秒~15秒で、「いつ、どこで、何が、行われました。」の文を作ります。
そしてニュース1本(大体1分30秒から40秒)の原稿になります。
ここにインタビューが入ったり、リポート、VTRの後のコメントがついたりして、
1本の長さが決まります。
取材してからVTR編集をする前に流れを編集者に話し、書いていきます。
優秀な記者は、短い時間の中に自分が感じたこともさりげなく組み込んでいきます。
簡単そうで奥が深い記事執筆の世界の扉を開けてもらいました。
最初はアタフタしていた私も何とか書けるようになった頃、契約期間が終わり、地元の民放局アナウンス部への就職が決まりました。
ここで教わった事は、チームでひとつの事を作りあげると言うことでした。

荒波にもまれてステップアップ


 
その後の会社では、同じ業種であるためか、キャリアといっても1年しかない「ひよっこ」の私に対しても、仕事をまわさない、CD整理ばかりなど我慢の時間が長くありました。それでも一つずつ仕事をしていくと味方ができたのです。
隣の席のK先輩でした。
「○○さん、仕事の振り分けおかしくない。もっと皆にしっかり仕事が行くようにした方がいいと思うよ。」とある日の会議で言ってくれたのです。
ありがとうK先輩。いつもより気持ちをこめてコーヒーを淹れました。
それからは、取材先のことを自分で調べたり、質問項目を考えたりしてディレクターに相談したりと充実した毎日でした。
 
この我慢の時間を経験して、少しは強い心を手にいれたと思っています。
結婚、引越し、出産を経験して、また新たなことに挑戦しました。
地域密着型のFMラジオのパーソナリティです。
これは、今までの仕事を活かせるのではとワクワクして取り組みました。
 
ここには、今まで出会った事がないくらい怖いラジオ会社のMさんがいました。
始めましてのご挨拶の時も第1声が
「何もこの地域のこと知らないで恥ずかしくないのか。知らないのは君だけだ。」
ショックで何もいえなかった事を覚えています。
 
それでも、地域の皆様と仲良くなる事が大切と考え、担当地域内を歩き、美味しい店や地元企業、地域サークルなどをご紹介しました。
 
毎回放送後には、Mさんから「面白くない。」と言われ続けました。
 
地元の皆様からは、毎回、良かった。面白かった。聞いたよ。と笑顔で言われ、たくさんの元気をいただきました。
 
Mさんの言動は、仕事が充実していき私が昇格すると共に、ピークを迎えました。
「お前!調子に乗っているんじゃないぞ。」
この言葉で、恐怖を覚え会社を辞めることを考えました。流石に会社も動いてくれて
担当からはずしてくれました。
後から聞いた話ですが、自分が推薦した人が決まらなかったのが面白くなかったんだそうです。
 
好きな仕事だった事と支えてくれた仲間や地域の仲間の大切さを強く感じた職場でした。

試練は続く


 
そして、今の会社の広報部に入社しました。
入社以来、社内フェアポスタータイトルや広告コメント、社内報を担当してきました。
今までの経験をいかして、各店のスタッフとも信頼関係を作りました。
イベントを楽しく盛り上げる言葉も考えてきました。
チームで仕事をしていると思っていました。
 
そんな時の「君は、営業の仕事だけしてください。」です。
今までのイベントコメントは、何が悪かったのでしょうか。あまり笑えなくなった自分がいました。
 
人生最後の転職も考えていたころ、インターネットでストーリー講座に出合いました。
ストーリーを学ぶと人を感動させられる。心を動かす文章が書けるようになる。
今から勉強しても大丈夫なのかしら。受講料も私にとっては、高額でした。
それでも、講師である永妻先生の魅力的なお話にドキドキが止まりませんでした。
申し込みのボタンを押したら、すぐに満席。
数日後キャンセル待ち中、入会の連絡がきました。

運命の入会でした


 
今は、「ストーリーとは何ぞや」と自分に問いかけながら、一文一文を書いています。
今までの悲しかった事、悔しかった事も心動かす私だけの文章を書くためのものだったと
思える日が来るように祈りながら。
 











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