自分の才能って何だ?

最近私がたくさんの時間を費やしていること。

それは、自分について真剣に向き合うこと。

自分が持つ性格、才能、苦手なこと、見て見ぬふりしていること、本心…


本を読んだり、色んな人のYoutubeを観たり、ノートを広げて様々なワークをやってみたり。

今更ながら自己分析というものを目に付くまま、思い付くまま、時間がある時にちょこちょこやってみていた。



で、色々やった感想。

「こりゃ永遠に終わらん。」笑



最初は自分の才能なんて全然思い付かなくて、むしろダメな部分ばかり目についてモヤモヤした気持ちになったりもしたけれど、しつこくやればやるほど、意外と自己分析が楽しくなってきた。

そういや私ってこんな面もあったかも、、
あ、昔こんなこともあったな、、、
この時どんな気持ちだったかな、、

色々派生して、過去の自分も思い出して来て、最初は表面的だったものが少しずつ深掘りされていった。

で、気が付いてみたら、

もしかして才能って、自分にとっては結構意外なところにあるのかも、と思うようになった。



私はこれといって特別な自信も無いし、自分大好き!なんてテンションで生きて来た訳でもないけれど、実は今の私はどちらかと言うと華やかに見られる方だったりする。

キチンとおしゃれをして過ごすことが好きだし、社交性という面においても、子供のママ友とばったり会えば軽く会話をしたりもして、側から見ると何でもそつなくこなしている、結構ちゃんとした人におそらく見えていると思う。(どうやらこれまでの人生経験で、ちゃんとしている自分を演出するスキルだけは少々磨かれているっぽい。笑)


でも、実際は小さい頃からの劣等感をひた隠しに生きている、というのが本来の私の姿だったりする。

そして結構コミュ障だとも思う。
3人以上の人と一度に話すような場面に遭遇すると、短い時間でもドッと疲れてしまうし、たぶん俗に言うHSP気質を持っているのだと思う。
人混みも大きな音がする場所もとても苦手。

ひとり時間が本当に好き。最高。


ちょっと昔の話をすると、幼少の頃は同級生のほとんどが「あの子ちょっと変わってるよね」という雰囲気を出しながら私に接してくるのを、肌で感じて生活している感覚だった。
何をやるにもトロくて、体も弱くて、仲の良い友達も一人くらいしかいなかった。
ストレスから来る腹痛と自家中毒で、学校もしょっちゅう休んでた。

自分でも「私ってみんなとちょっと違う気がする」「どうやったらみんなと同じようになれるんだろう」と思って日々過ごしていたことを鮮明に覚えている。

そんな私だから、今も安心できる友達は数人しかいない。
でもその友達すら、過去の私の姿や今こうして心に秘めている劣等感も、ほぼ気付いていないと思う。(まぁ誰しも、何かしら自分の心に秘めている思いや感情ってあるよね。)


大学を卒業してそれなりに会社にも勤めて、結婚もして子供も授かって、今は家族を守りながら目の前の生活をしていく中で、コロナ禍をきっかけにふと、こんな私の才能って一体なんだろうって急に考えたくなった。


おそらくこのタイミングで同じように考え始めた人が世の中にはたくさんいたんだと思う。
「才能を探す為の情報」は結構簡単に調べることができた。

で、ノートに色々書き出してみた、、、

、、、けど、、、も、、

自分のネガティブな部分を隠すということにしか目を向けずに生きて来た私は、才能らしきものを書こうと思っても、これまで劣等感を感じた「出来なかったこと」しか思い浮かばず。。。

なんか私って子供の頃から全然成長してないな〜、なんて思いに支配される始末。


でも、これまた世の中には素晴らしい発信をして下さっている方がたくさんいて、そんな私のような人間の心理を見越して、さらに深掘りできるようなワークなんかも作ってくれたりしていて、調べたら色々出て来た。
(発信者の方々に本当に感謝!)



で、最終的に気付いた。


「実は自分がダメって思っている部分こそ、立派な才能なんじゃないか。」


私が人生で培った、劣等感をひた隠すスキルが功を奏したこともあってか?、前職では上層部から依頼される形で管理職にも就き、たくさんの後輩たちの指導もしてきた。

トレーニングをしていると、当然、器用にできる子や上達するまでに時間のかかる子もいたり、何度言っても同じミスをしてしまう子もいた。


でもその時を思い返してみると、そういえば私は後輩にあまり怒るってことをしなかったなぁ、とふと思い出した。
腹が立つ、とはあまり思わなかった気がする。
(腹が立つのは、理不尽な事を言う一部の上の人にだけ!笑)
後輩たちには「あ〜そうだよね〜。確かにこういう所は難しいもんね〜。」なんて言いながら、その都度その子にとって自分なりに最善と思うアドバイスをしていた、、、と思う。

そんなシーンを思い出していた時に感じたことがあった。


それは、何かを出来なかった目の前の子が、少し前の自分となんだか似てるって思う感情を自然に抱いていた、ということ。



そこから一つの結論にたどり着いた。


自分の劣等感をひた隠しに生きてきたおかげで、私には「出来ない人の気持ち」がわかる、という才能があるんじゃないかということ。


前職には素晴らしく仕事ができる同僚が何人かいて、私も恐れながら肩を並べさせてもらって仕事をしていたけれど、中には出来ない子に対して「あの子はどうしていつまで経っても出来ないんだろう」って、口にする人もいた。
それを聞いた時に、心の中で「頑張っても苦手なものは苦手だしなぁ、、これって本人もどうして出来ないのかわかんないんだよなぁ、、」なんて思っていた記憶も蘇ったりした。

だって、私もそうだったもん、って思った。
バレたくないから黙っていたけど。(私ってズルい。笑)


「劣等感=自分のダメなところ=ネガティブ」、ということではなくて、
「ダメだからこそ出来る裏の側面=ポジティブ」という要素も必ずあって、それも立派な才能なんだと思う。

普段自分では気付かずに自然とやってしまっていること、
それが「才能」というものらしい。
でもそれって本当にその通りだなって、何だかすごく腑に落ちた。


だから私は自分が持つ才能に少しだけ自信を持つことにして、それを大事にしながら、私が歩むべき道を見出していきたいなって今は思い始めている。



ダメな人なんていない。

才能無い人なんて絶対いない。


自分に自信を持てないでいる人たちが、一つでも多く自分の才能に気付ける、そんな世界になっていったらいいな。




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