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オリンピックについて感じたことを綴ってみる(7月28日時点)

東京で行われるオリンピックをリアルタイムで体感すること。
これは結構貴重な経験だと思うので、感じたことをここに綴っておくことにする。


コロナ禍におけるオリンピック開催には、ほぼ関心がなかった私。
気がついたら開会式が始まっていたという感じ。

どうせ家にいるし、ということで自宅で仕事をしながら開会式を見た。

世界各国から訪れた選手団の入場はそれなりに楽しかったけど、式典の目玉でもあるパフォーマンスは、ところどころ楽しめる演出はありつつも、結果として微妙だったと思う。

一年遅延の開催により、開会式の規模を縮小&簡素化した影響はもちろんあるだろう。また、直前までゴタゴタし続けたことも然り。その事情を汲みつつも、開会式を見て思ったことは「そんなもんか」だった。

ドローンで表現した地球は佇まいが美しかったけど、物語性に欠けると言うか。ただただ美しい立体がそこにあるというだけの状況になってしまったのが残念。
それに、以前から上海の外灘やシンガポールあたりで、かなりレベルの高いドローンショーをやっていたりするので目新しさはなく。


とはいえ、関係者の方々はコロナ禍の制約の下、変更に次ぐ変更で相当大変だったと想像する(この環境下で式を無事やりきったことは本当にすごいと思うし、ボランティアを含め尽力した方々には敬意しかない)。

でも式だけを純粋に評価すると「そんなもんか」と。

せっかく日本を知ってもらえる絶好の機会だったのに伝えたいものが見えなかった。そして、何の力もない一市民の私にも、何かできることがあったんじゃないかという、後悔にも似た感情が渦巻いた。

同時に、日本のグローバルスタンダートとのズレ(噴出した問題アレコレ)が世界に発信されたことと共に、オリンピックの開会式が、愛すべき母国の衰退の象徴のように思えて寂しい気分になった。



そう感じるのは、オリンピックが始まる前に見たNHK番組「映像の世紀 プレミアムー東京 夢と幻想の1964年」の影響もある。


当時を知らない身としては、1964年東京オリンピックと高度成長はセットで、ポジティブなイメージしか持っていなかった。
そして当時の国民は東京オリンピックを歓迎し、この世界規模のスポーツ祭典を楽しんだのだろうとも思っていた。

実際のところ、オリンピックがあったからこそ戦後東京が近代都市として生まれ変わった。高度成長に拍車がかかったこともその通り。
しかしその一方で、オリンピック開催前、国民は全くオリンピックに関心を持っていなかった。
国民にとっては日々の生活の方が大切で、高速道路よりも明日のご飯。
「オリンピックよりも先にやることがあるだろう」という意見が大多数だった。

また、1964年は稀に見る大渇水に見舞われた年でもあった。
東京の水不足は深刻で、それこそオリンピックどころではなかったのではないか。


ところで、これ、今の状況と似ていないか?
開催前、国民の多くはオリンピックに関心を持たず、それよりもコロナ蔓延による危機感・制約に疲れ果て、コロナ対策をオリンピックより優先すべきという論調だった。



話を戻す。
1964年のオリンピックでは、華々しい開会式に人々は歓喜。
それに日本人のメダルラッシュが加わり機運が変わる。
街頭テレビには人が押し寄せ、人々はオリンピックに熱狂した。
終わってみれば、オリンピックは国民にとって良い経験・思い出になると同時に、世界に向けて、戦後復興を果たした東京を発信することができた。

結果、1964年 東京オリンピックはポジティブな成功体験として後々まで語られることになったのだ。


では、2020年東京オリンピックはどうだろう?

今日、7月28日の時点では、開催前の混沌とした世論はトーンダウンし、連日の金メダルラッシュで沸いている。
緊急事態宣言中にも関わらず、オリンピックニュースが話題をさらう。

そして我々は、選手たちの活躍や喜びの表情を見て感動している。
ここまでは1964年とよく似ている。

でも、これから先はどうなるか。
オリンピックが終わった後、1964年と同様、今回のオリンピックが日本にとっての成功体験として将来に語り継がれることになるのだろうか。


実際のところ、開会式で感じた寂しさを選手たちの活躍が払拭してくれた感はある。でも、その感動で全てが帳消しになるのだろうか。
何といっても、コロナ禍の今の状況は1964年とは似て非なるものだ。

また、昔のように皆がテレビや新聞を見ているわけでもない。つまり、オールドメディアが選手の功績を盛んに報道したとしても、緊急事態宣言が国民に浸透しないのと同様、すべての国民にオリンピックの熱狂が届くわけでもない。



いずれにしても、オリンピック後の世界はすぐにそこに来ている。
それがどういう世界になるのかは誰にもわからない。コロナの影響だってまだまだ続く。

だけれども、誰にもわからないということは、裏を返せば、これから先をどうするかは私たち次第ということでもあるのだ。



さて、今回のオリンピックで身に染みてわかったことは、人の気持ち、ひいては世論は、いとも簡単に負から正へ、暗から明に(もちろんその逆も)振れるものだということ。
歴史を振り返ってみてもそれは真理で驚くに値しないことだけど、自分だけは開催前と同様にオリンピックに関心がないまま会期を終えるではないかと思っていた。

ところがどうだ。
メダル獲得の速報がニュースに流れるとそれなりに心が躍っている。

増え続ける感染者数や今後のコロナ状況を危惧しながらも、オリンピックへの否定的な気分が和らいでいるのは間違いない。

ともあれ、まだオリンピックは始まったばかり。
今のこの気持ちは終わった頃にはどう変化しているのだろう。
そして、その後の日本はどう変わっていくのかしら(って、人ごとじゃないのよね)。


トップ画像は一年間太陽や風雨に晒され、色褪せながらも青空に揺らめく「TOKYO2020」の旗。
これを見てると、なんだかとても複雑な気持ちになるのであった。


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