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自分に嫌気がさす育児

子供が眠いけど寝たくないと、ぐずりが酷かった。
旦那は特に手伝うこともなく、自分の昼食を作り
私の分も作ろうか?と聞いてきたのでお願いしてもいい?と返すとため息をつかれた。
じゃあいいよと断ると、怒るなよとこちらがあくまでも加害者のように言ってくる。
その時点でイライラしていたのだが、旦那は私が自分の分のご飯を作っている間、自分がご飯を食べることに夢中で子供は放置(そのため私のいるキッチンで大暴れ)
なんとかご飯を作るが子供は眠いので食べない。
私は普通にお腹が空いているので食べようとしたけど子供が膝の上に乗り降りしたりぐずったりして
結局あやす人間がいなくなるのでふた口くらいでご飯は止めた。
ちなみにラーメンだったので数時間後に食べようか一瞬悩んだが、伸びに伸びて鬱になるラーメンになっていたので捨てた。
旦那は昼食を終えて布団で横になって寝た。
その間も私は子供の世話。
旦那は午後になったら車を出すと言っていたけど
結局眠気が酷くて運転が危ないという言い分で出かけるのを渋ったしそのまま寝た
私はぐずりが酷くて金切り声を上げて大泣きされて
そんな子供を1人で相手していたけどもう無理だったので旦那を置いて、子供を後ろに乗せて自転車を動かした。

公園に行くと頑なだったので32度の炎天下の中砂のある遠い公園に向かっていたが途中で子供がチャイルドシートで大泣き
何?と思って振り返ると
子供を乗せるのに必須のヘルメットを自分で外そうと躍起になっていた。

そこでもう全てのことと人が自分を否定しているんだと思った。
もうここから消えてなくなりたいと、一瞬でストレスが燃え上がって本当に全てが嫌になった。

私は後ろに乗っている子供に向かって
「もう嫌だ」
「何も楽しいことがない」
「もうお前は自転車に二度と乗せない」
といったことを何度も何度も言った
鏡を見なくても自分の顔が般若のようだったと感じた

そんな呪詛を吐き散らしながらアパートの駐輪場に着いた。
その時やっと子供の顔を怒りながら見ると

子供は泣きながら寝ていた。

ヘルメットがあると眠ることが難しかったのでぐずっていたんだと、
その時はじめて気づいた。

後悔した。
何度も何度も後悔した。
私は何なんだろう
いくら子供がイヤイヤ期で旦那が非協力的であっても自分の余裕がなくても、怒りの感情をこの世に生まれてまだ2年と経っていないこんな幼い子に思いっきりぶつけてしまうなんて

先程とは違う理由で
私はこの世界から消えたくなった。
私なんて必要ない。
私と関わった人が不幸だ。

子育ては毎日学びというけど
私の中では葛藤との闘いである。
育児本、周りの声、役所の人の声、先生の声、旦那の苦言、自分の心
全てが同じ方向を向くことはない。
何が矛盾しているか何が間違っているか
子供が成長するまでわからない

毎日これでいいのだろうか
何であんなことしてしまったのか
あの選択肢でよかったのか

自分の人生の選択肢ですら間違えて生きてきて
ひとつひとつ疑問を持つような人間なのに
私なんかが子供を育てていいのだろうか

毎日悩んで考える。
好きなことと楽しいことはイコールではない
最近の自分の教訓だけれど
本当にマニュアル人間には人生の攻略本が欲しい。
そうしないと生きて行くのが辛い

と思いながら死ぬまで生きるんだろうな。

思いつきで書いたまとまりのない駄文ですみません

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