恥ずかしくないよ
木のあるところには命あり。
一本の木が、
何百、何万の命を育んでいるのかと思うと、
自分のちいささが身に染みます。
最近のお気に入りの木は、
家から歩いて30分弱の公園にある、
大きなムクノキ。
ほれぼれしてしまうほど、美しいのです。
今は葉が1枚もないので、より美しさが際立つ気がします。
木は懐が大きい。
ハグもため息も、受け入れてくれます。
私は、木にハグするのが大好き。
右見て、左見て、もう一度右見てから
ぎゅ~とするのですが
…。(ご想像の通りです)
ため息は、呼吸が浅くなったために、
身体が求めておこる現象。
「はぁ~」、「ふぅ~」とつく(吐く)ことで、
しっかり吸えていなかった分をリセットする。
なんて身体はよくできているのでしょう。
怒られないところで、
罪悪感なくついちゃいましょう。
木のそばで大きく呼吸をすると、
土の香りと木のぬくもりで、
身体が満たされます。
ため息と同じくらい、
もしくはそれ以上に悪者にされちゃうのが、愚痴。
嫌われがちな愚痴だけど、
私は人間らしい一面だと思っている。
愛すべき弱さ。
愚痴ひとつこぼさないって、無理がない?
(広辞苑によると、愚痴とは
『言っても仕方のないことを言って嘆くこと。また、その言葉。』
困りごと、悩みごとではないですよ)
木にきいてもらうのもいいですが、
やっぱり、「うんうんっ」と
うなづいてもらいたいですよね。
愚痴をこぼすときのポイントがあります♪
①グチグチ長く言わない、繰り返さない
②ひとりにきいてもらったら、満足する
そして
③話の中に〇〇さんが出てくるときは、その人とまったくの無関係の人に話す
職場の愚痴は、家族に言う。
私の場合は、これで解決です。
聴く側になったときは、
場面を思い浮かべながら
一緒に嘆いて、悲しんで。
そうすれば、自然に
「大変だったね」
と口から出てくるはず。
ときには、「けしからんっ」と、
会ったことも、今後会うこともないだろう誰かさんに、思いっきり腹を立ててください。
どんな顔かなと想像しながら。
愚痴として小出しに出せれば、
溜まっていく分が減る気がするの。
愚痴で済んだはずの出来事も、
積み重なれば重くなってしまう。
生きていればストレスは尽きないから、
放おっておくと、
地層みたいになってしまいます。
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おなかが重苦しいときは、
食べる喜びが減ってしまいますよね。
私には、似ているように感じるのです。
心軽くいられているときの方が、
美しさや嬉しさを味わえる。
臓器の中で、消化管のみが外の世界と繋がっています。入口から出口まで、途切れずに。
スーパーフードに凝っていても、
便秘がちでは、あまりよろしくない。
目に見えないものであっても
入れることと同じくらい、
出すことを大事にしたい。
そんなふうに感じます。
ため息・吐くこともそうだし、
何だかよく分からないモヤモヤや、
一言では言えないイライラも、
がまんしては、抱えこんでは、
しんどい。
いつもきれいな部分を見せていなくて大丈夫。
強い自分でいなくても大丈夫。
弱い部分を出すことは、恥ずかしくない。
そう思える自分でいたい。
まぁ、こう言い訳をしながら、
「ねぇ、ルーナぁ、」
と、今日もうさぎさんに、どうにもならないことをくどくど嘆いています。
(つまりは愚痴っています。)
あっ、ポイントをもうひとつ忘れていました。
きいてもらったら、「ありがとう」を必ず言葉にして伝える。
最近知ったのですが、
「ありがとう」の反対語は、
「あたりまえ」なのだそうです。
ルーナ、いつもありがとうね。
2024.2.7〜2.12
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