勇気を出しやすく
悪いことをしているわけではないのに、言いづらいことってある。
たとえば、講義などに遅刻してしまって途中で入るとき、とても恥ずかしい。体調が理由だったとしても、肩身が狭くなる。
仕事中に頻繁にトイレに行くのも、申し訳ない気持ちになる。
(私も職場でトイレに行くのが苦手)
言い訳のように思われるのも嫌で、ひとりで悩まれる方も多い。
でも意外と、まわりの人は気にしていない。困ってもいない。
少なくとも私は何とも思わない。
むしろ、遅れてもちゃんと来るって立派だと思う。
私は摂食障害で、外食や会食はじめ、外での食事や、人との食事ができない。
それでも場を共にしたくて集まりに参加したことは、数回ある。
たいていは来たことを後悔する。
勧められたものを断るのは申し訳なくて、結局部屋の隅でお茶だけひたすら飲んでいることになる(ある意味お腹は一杯になる。)
ダイエット中と思われているか、好き嫌いが激しすぎると思われるか、などと気にもなる。
どちらの理由でもないし、
まわりの方たちは、そもそも深くは考えていないと、分かっているのだけれど…。
さびしい、と思う。
みんなが楽しめることを楽しめないとき、自分で自分を孤独にしていることに気がつく。
障がいや症状というのは、複雑だ。
生まれつきの人、大人になってからの人。
そのことで今悩んでいる人、苦しんでいる人。
カミングアウトすることが正しいとも言えないと感じる。
自分が好きでない部分は、他の人に知られたくないと思うのが自然ではないかな。
親しく関わる人には、言えた方が楽になる場合もあるけれど、絶対でない。
「なにか理由があるんだな」
と、あたたかい眼差しが行き交ったらいい。
お願い(特にめずらしいお願い)は、申し訳ない、恥ずかしいという気持ちで、勇気がいるものだ。
「たすけて」が言いやすい雰囲気、ゆとりが大切だと私は感じる。
忙しない空気の中では、だれでも言いづらくなる。
ひとりひとりのちょっとしたやさしさで、
生きやすくなる人が、
救われる心がたくさんあると思うんだ。
2023.12.6 / 12.7
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?