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なにを選ぶ?

選べるものと、選べないものがある。
選びたいものと、選びたくないものがある。
選ばざるを得なかったものと、気がついたら選んでいたものがある。

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中2の夏休み、近くの公民館で勉強した帰り道。
自転車を漕ぎながら、お昼に食べた五目おにぎりが頭に浮かんだ。
「おいしかったなぁ」とほんとに同時に、
「入っていた鶏肉って、(生きていた)ニワトリだよね」
と思った。
それがすごく悲しくて、“いや”だと感じたことを20年経った今でも覚えている。

そのあと、肉、魚から避けるようになった。
母には言い出せなくて、給食ではクラスメイトにあげていた。
自分で採れる(言い方は悪いですが、殺せる)貝などや、
卵や乳製品は食べていたけれど、モヤモヤがずっと消えなかった。

悪いことをしている気分で、迷って食べている感覚。
何を食べてよいのか分からなくなった。
当時、ヴィーガンという選択は知らなかったし、ベジタリアンは致し方なく選ぶもの、といった存在だった。

中3のときから、いろいろ重なり摂食障害になって、さらにわけが分からなくなった。


調べて調べて調べまくった。
とにかく本当によく調べた。
どうやってお肉になるかや、卵や牛乳について。
環境問題、
精進料理、マクロビオティック、フルータリアン。
栄養面のことも、調理の仕方も、たくさん、たくさん。

どうしていいか分からなかった。
食べることと生きることは切り離せないから、
食べることが定まらないと、生きることそのものをどうしてよいか分からなかった。苦しかった。

毎日毎日、考えて、体と心と向き合った。向か合わざるを得かった。
命の犠牲の上に成り立っている自分が悲しくて、その価値が自分にはないと感じた。(今も)

そう思っているのに、過食して、
過食する度に、
私は多くの命を無駄に奪った、
と自分を責めた。(今も)
本当に消えたかった。(今も)

植物の命をどう捉えたらよいのかも、
悩んだ。
野菜のことも、きのこや海藻も。
実か根か、何科か、多年草か一年草まで調べた。当時なので、ほぼ本や図鑑で。
今思えば、とにかく必死だった。

そして、
10代後半にヴィーガンで生きていきたい、と思った。
摂食障害と絡んでいるので、うまく切り替えられなくて苦しかったけれど、
21歳だったかな、ヴィーガンに落ち着いた。あれから1◯年経つ。

23歳くらいのときに、なんと表現したらよいか、不思議な感覚…
「これでいい、これでよかった」
と自分から自分への肯定感のような、安心感のような、自信のような、
ぶれない芯ができた。

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ヴィーガンという用語は、あまり使わないようにしている。
「お肉や魚などは、食べないんです」
「ベジタリアンです」などと言うことが多い。
本当は、使えたら便利だなと思う。
ただ、ヴィーガンときいて思い浮かべるものが、人によりさまざまな気がする。

この記事の中では、ヴィーガンという用語を使うことにする。
私流に定義するなら、

『生き物が好きすぎて、食べられなくなった人たち。きれいになるために、彼らの命はいらないと感じる人たち。』

先も述べたように、聞き出されないかぎり話さないが、
ヴィーガンで、の答えが「いいね」のことはほぼない。
唯一、ヴィーガンカフェの店員さんに「私もです」と返された。

だいたいが
「お肉も食べないと力が出ないよ」
と心配される。
「そんなこと言ったら、植物も命あるよ」と言われたこともあるし、
「えええっっっ!!!」と驚かれたり、
ヴィーガンそのものが分かってもらえないことも多い。

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伝統的な生き方を受け継いでいる遊牧民で、お客さんが来たときに、自分たちの大事にしている家畜を食卓に出す習慣を持つ人々がいる。

アイヌやマタギの人たちも、命がけでしとめた獣を、感謝してみんなでいただく。
フィンランドにも、同様の文化がある。

テレビで知ったが、残酷だとは思わなかった。

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食の選択は、できるだけ自分でできたらいい。
だから、ヴィーガンになろうよ、とは人には言えないし、言わない。

私は人との食事がこわいタイプの摂食障害なので、ヴィーガンであることを理由につらい部分はない。
でも、人との外食を大事にしている人だったら、今の社会では非常に窮屈なのが現状だと思う。


自分に合うもの、自分にとってよいものを選ぶとき、それは
①体によいか、
②心によいか、
③体にも心にもよいか、
のどれか。
選んだものの全てが③ならいいけれど、そうでないこともあるし、それが分からないこともある。

栄養面をいえば、魚の油が身体によいことは、多くの医学的な研究で分かっている。

でも、私は魚を食べない選択をしている。
(かわりに、毎日亜麻仁オイルか、エゴマオイルを摂っている。)
それは、その方が私全体としてはいい状態、安心した心地でいられるから。

いろいろ絡んでごちゃごちゃになっているから、ヴィーガンになって体調がどうこうは、残念ながら分からない。

でも、サプリは飲んでいる。諸説あるため、ヴィーガンの方の中でも意見は分かれると思う。

たとえばビタミンB12は、動物性食品に含まれる。たまにでも卵やお魚をいただく人はよいのだが、そうでない場合、海苔や酵母だけでは危険かもしれない。
ビタミンB12は、神経細胞の機能の維持に欠かせない。
安心のために、私はサプリとして摂取することを選んできている。

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ここまで目を通してくださった方に、ひとつだけ知っていただきたいことがある。
ヴィーガンの食の面だけが注目されがちだか、私個人としては、それ以外の部分を同じぐらい大事におもっている。

動物由来の化粧品、動物実験をして確認されている化粧品は、選ばない。
これは10代のときから徹底している。
そして、この部分は、マークさえ付いていれば、取り入れやすい部分ではないかと思う。
なぜかというと、食と違い、ある程度代わりがあるから。

20年前は、エシカルなマークなどは、海外輸入の高い化粧品以外はなかった。
だから、化粧品の成分の原料(由来)はひとつひとつ調べた。今でも結構頭に入っている。
動物実験の有無やこういった類のことをコールセンターに電話してきくとき、恥ずかしかったなぁ。勇気を振り絞って電話するか、手紙書いていました。
今は以前よりはずっと聞きやすい。
全成分表示もされているし、ネットで調べやすいし、メールでも質問できるし。

化粧水は手作りしていた時期もあるが、夏に腐らせたことがあり、それからは買っている。
髪のリンスは、ずっと手作り。
天使の輪は、なくてもいいかなぁって(笑)

あとは、衣類などの素材は、必ずタグを見ている。
ちなみに、インナー以外はほぼ中古。

でも、「うちの〇〇ちゃんの毛で作ったマフラーです」などとプレゼントされることがあったら、喜んでいただく♪

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処方薬は、長く飲んでいる。
言うまでもなく、薬というものは動物実験をされている。
漢方処方がメインだけれども、西洋薬も飲んでいる。

そのひとつが眠剤。飲まなくてもいつかは眠れる。3時間後のこともあるし、5時間後のこともあるし、次の晩のこともあるけれど。
やめたり、控えていた時期もあった。
ただ今の私は、ちゃんと眠れた方が、全体として元気。だから今は、力をかりる。

風邪などで自分で買うときは、ほぼ漢方薬を選ぶ。漢方は先人からの賜物。
(私は一応、登録販売者の資格あります。困ったらきいてください。)

処方薬は、実験がされているかいないか、添付文書を開けば書いてある。
漢方は開発のための動物実験はされていない。

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長くなってしまいました。
まとめると、

自分が何を選ぶかと同じくらい、
他人の選択を尊重できる、
大切にし合える社会がいいな。

と思います。
なにげに歴史があったりするものです。


最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。

2024.2.8

こういう内容は、純粋にうれしいなぁ。

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