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在り続けること
昨年の初春に知ったこと。
日本のソメイヨシノは、すべて同じ遺伝子らしい。
江戸時代に接ぎ木で増やし、各地へ広まっていったという。
今も変わらぬ増やし方。
同じ遺伝子を持っているから、同じ場所のソメイヨシノは、一斉に開花する。
同じだから、一斉に枯れるなどともきくが。
ともかく、日本中のソメイヨシノが同じDNAだという裏話?は、衝撃的だった。しばらく私の頭と心を占領し、その後もときおり思い出すほど強烈に響いたのは、大きな安堵を覚えたからでもある。
遺伝子が同じでも、一本一本の木の個性がはっきり分かるのだから、
遺伝子の異なるわたしたちが、ひとりひとり違うのは当然だ、と。
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話は変わるが、以前から持ち続けている感覚がある。
わたしたちはヒトというひとつの種であり、動物であり、生物である。絶対に絶対に、これは同じ。
寝て、食べて、そこから得たエネルギーで熱を生み出し、生きる。
そして必ず、死ぬ。
この、食べて寝る、に1日の半分近くは使っているわけで、違う違うと騒ぎ立てている部分は、その残りの部分だ。
私は中学生のときからの癖で、こういう話のとき、8.8.8と頭にすぐ浮かぶ。塾の先生が、中学生のわたしたちに向けて仰っていた、夏休みの過ごし方の話。
この通りにはいかなかったし、今もいってはいない。
でも、一日の過ごし方を考えるときや、今後どう暮らしていきたいかを思うとき、必ずこの8.8.8で想像する。
まず、睡眠8時間。私の場合、布団の中にいる時間。眠れるか眠れないかは、別問題。
次に、食事や入浴、身支度など自分だけに使う時間として8時間。基本家にいる時間。
そして、仕事や社会活動、学生なら勉強時間に8時間。私は移動時間も含めて考えている。なんだかんだ気を遣う時間、気を張る時間。
そんな悠長なことをやっていられないという方が多いとは思う。でも、冷静に考えると思うはず。これでやっていける社会だといいのに、と。
だって、ふたつめの8時間。
食事と食事の支度に3時間、
入浴に1時間、
起きてからの身支度に1時間、
掃除や洗濯、片付けに1時間、
趣味やぼーっとして1時間、
うさぎと遊びながら散らかった牧草を拾って1時間。
ルーナ(うさぎ)いわく、暇人の私でこれで終わりだ。
車椅子で生活する人や、子育てや介護、ペットのお世話に時間がかかる方を思い浮かべてほしい。積雪の多い地域、台風の多い地域の方、ゴミ出しだって、目の前とは限らない。
そうでなくたって、風の強かった次の日は、玄関先を掃いたりと、そういった「名前のない家事」もある。
体調がすぐれなくて思うように動けない日だってある。
削るべきでない部分、たとえば睡眠、食事。家庭や家にいる時間をおろそかにせざるを得ない、そうすることが当たり前となっている気がしてならない。社会全体としてもそうだし、わたしたち自身もそうすべきと思ってしまっている。
手を抜くことは大切だし、日々のことだから楽をしないとつらい部分でもある。難しい。
個性は、仕事や、外に出ているときに発揮されるものだと思ってきたけれど、
最近はむしろ、土台となる生活をどれだけ大切にして生きられるか、暮らしそのものをどれだけ愛せるか、に目がいくようになった。8.8.8の、はじめのふたつの8だ。
外出着も重要だけれど、寝るとき何を着るか、そういうこと。
うさぎや木にハグして、深呼吸する余裕がなくなったら、私は私ではなくなる。
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今シーズンは、どんぐりが不作だった。
くまさんは気の毒だったし、事故が多く悲しかった。
みかんは、好調の年らしい。
毎年、実のつき方は違う。だから待ち遠しく、今年はどうだろうと待つのだ。
仕事や社会活動だって、そのときどきの強弱(実の量や質)があることが、違和感なく受け入れられるといいのにと思う。
徹底的に管理されていない限り、いつも同じコンディションなんて不自然だし、毎年豊作なんて不可能だから。
いつも大活躍、大成功はすばらしいけれど、大谷くんだって、そればかり求められたら、笑顔が消えちゃう気がして心配だ。
嫌なことがあったり、うまくいかないことがあったり、体や心がついていけないときも、つながりを持ち続けることは大切だと思う。
バッサリ切ってしまう方が楽かもしれないけれど、戻れる場所があるということはありがたいこと。
ごめんさよなら、はさびしい、悲しい。
在り続けること。
生まれてから死ぬまで「生」は途切れることがないように、細々でもつなぐ。
切れないように、折れないように、
下から支えてもらったり、添え木をしてもらったりしながら。
そうやって、やり過ごして、持ちこたえて、小さな花が咲いて、実がなる。
数年ごしに、ひとつだけ実ったレモンのように。
そういうなにかに触れたときの気持ちって、
数字にも、理論にもできないし、科学的に何とかでもない。
かっこよく言い表せられたらいいけれど、私の言葉で書こう。
ただ、ただ、美しく、胸を打つのだ。
だれもが生まれながらに持っている、やさしさ。
それは、無事でいてくれることを、生きていてくれることを望む心だと思う。
一瞬にして、そのやさしさが全身を巡るから、言葉にできない感動が湧き上がる。
ただ、ただ、よかったと安堵するのだ。
2024.1.18
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