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好きと嫌い

私は小さい頃から、
ある個人に対して「嫌い」という感情を抱くことがほぼない。

苦手、はある。
結構あるかもしれない。
合わない、に近い。落ちつかない感覚。


===


「好き」が分からないときは、先に「嫌い」を見つけるとよい
という。


どういう生き方をしたいか、
を考えるとき、
どういう生き方だけはしたくないか、
に立ち戻るようにしている。

のぞむ生き方に近づけるように暮らしたい。
でも、まずは、
のぞまない生き方だけはしないように、と思う。

後ろ向きにきこえるかな。
私はそうは感じていないの。

譲りたくないものは、譲らない。
譲れないもの。
それが、生きる軸になっていく気がするから。


―――


好きの反対は嫌いではない、
ともよくいう。

「好き」も「嫌い」も、
ひきつけられる対象なのだそう。
それをここちよいと感じるか、
そうでないかの違い。

対象は、人とはかぎらない。
芸術でも、考え方でも、
多くに当てはまる。

そして、
「好き」「嫌い」の反対は、
どちらも「無関心」
なのだとか。


嫌われているかもと感じたとき、
考えなどをわざわざ否定されたときは、こう思いたい。

・・・その人にとって、
“どうでもよくない対象であり、無視できない”
のだと。

その人の心を動かし、占めている証なのだから。



「嫌い」という感情自体は、
少しも悪くない。
むしろ大事な心の動きだ。
「好き」がパステルカラーなら、
「嫌い」はビビッドカラーかな。

「嫌い」は自分の中でも、外からも目立ち、
「好き」よりも勢いを持っているように、私は感じる。

だから、
外に出すときは、
やさしさを加えたい。


===


さて、
人間に対して「推し」も持っていない私。

これは問題かもしれないぞ、
と思いながら、
イチオシのうさぎを今日も撫でている。


2024.4.24



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