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グラデーション

性はグラデーションである
というが、
この表現は非常にしっくりくる。

ひとりの人の中でも、
いわゆる男らしさ、を感じる部分と
いわゆる女らしさ、を感じる部分がある。
行き来もできるし、
実際にだれしもしている。

この例が通用しないことを願うが、
守ってくれる誰かがほしいときもあれば、
守る、という言葉を上から目線に感じるときもある。

私は虫が好きだし、
いろいろな物事に「きゃ~」と驚くタイプではない。
「へぇ〜」というタイプである。

私たちは、線引きされた2つの世界ではなく、
グラデーションでぼかされたひとつの世界に生きているのではないか。

自由に行き来できるその世界の中で、
どちら寄りにいることが多いか、
どのあたりにいるときが自然か、
ではないかと感じる。


よく中間あたりにいる人は、
一見中性的な魅力があるかもしれない。

どちらにいることも自然な人だっている。
ある日は可愛らしく、
ある日は力強さを感じる。
(この見方自体が偏っていることは、お許しください。)

性自認は、性表現とは別物。
(性表現は、“ふるまう性”というのが近いかもしれない。)

自分をどちらかの性だと感じる人
どちらとも感じない人
どちらとも感じる人
性というもの自体を感じない人
・・・


それぞれが、そのとき、
できるだけしっくりくる場所にいられるといい。


カタツムリは雌雄同体だ。

クマノミという魚は、集団の中で一番大きい個体がメスになる。
つまり、そのメスが死んだりした場合、次に体の大きい個体(オス)がメスに変わる。

メスからオスに変わる魚もいる。

ハゼの仲間など、何度も行き来できる魚もいる。


ネコのオスは、子育てをしない。
でも、身寄りのいない子猫を、親代わりかのように世話をするオス猫もいる。


時によって、環境によって、
在り方は変わる。

ヒトには関係ない?
そんなことはないと思う。


世界はグラデーションだから美しい。

美しいと感じるものは、大切にする。
だれもが抱くその気持ちが、
“平和”だと思うんだ。


世界は虹のようなもの。

何も不思議ではない。


2024.6.24 / 26

https://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/10jinken/base/upload/pdf/R1tayounasei.pdf

↑東京都発行の冊子
『多様な性について知るBOOK』

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