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はじめまして。HILLOCK初等部校長のミノテです。

1984年5月31日生まれ。
父は自由な高校化学教師、母は雑学女王。5人兄弟、全員男子の2番目として生を受けました。
鎌倉育ちなので、自然に囲まれながら、異年齢でのびのび育ちました。学校は窮屈で、友達や兄弟相手に毎日遊びをあみ出しながら日々過ごしてきたことが、今の力に繋がっていると実感しています。

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中高時代は、ゲームばかりしていました。私にとっての先生は漫画の主人公であり、ロックスターでした。
不良、というわけではないですが、大人が作る常識や「当たり前」が嫌いな子でした。
大学では、ゲームよりも楽しい日々に気付くことができました。バンドにDJ、なんでもチャレンジしました。金髪でピアスの穴を広げたりもしました。
何より、本や学問の大切さを味わったのもこの時期です。幼少期からの夢だった教師になるため、採用試験の勉強は1日10時間近くしていました。

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アンチ学校教育で飛び込んだ世界でしたが、現場で働く先生たちはとても素晴らしい人たちでした。
初任校の先輩たちは、個性的で多様でありながら、お互い尊重し合っている素敵な人たちでした。
若造の私の意見を取り入れ、面白がってくれたお陰で、仕事や教師の面白さ・奥深さを教わることができました。

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6年が経ち、初めての異動が特別支援学校。1/1000の確率で当たりました。
当初、自信のあった自分の鼻柱は見事にへし折られました。自分は、6歳以降の発達しか知らない。担任をしつつ、大学で特別支援免許をとりました。
学びつつ、障害のある子たちと接する中で気付いたこと。それは「みんな同じ」ということでした。乳幼児心理学、脳科学、認知発達科学、生物行動学…夢中で学びました。免許をとった後も学び飽き足らず、引き続き担任を続けながら大学院にも進学。人間発達科学で修士を所得しました。

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みんなが、学びたい場所で、喜びを感じながら学べる世界。そんなフルインクルージョンの学びの場を作ることが、いつしか自分の夢になりました。そして、それを実現するには、公立学校が変わらなきゃいけない、と。特別支援学校も大好きだったのですが、通常級に戻る決心をしました。
そこで、GIGAスクール構想の4年も前から一人一台環境にチャレンジしていた、前原小学校に異動します。初年度から研究主任も任せていただき、自分なりのビジョンを実装しようと試行錯誤しました。うまくいったこともいかなかったことも、たくさんありました。

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3年目が終わろうとしていた時に、突然の新型コロナウイルスによる一斉休校。当時5年生の学年主任をし、ほぼすべての授業にICTを導入していた私たちは、ごく自然な流れでオンラインに踏み切りました。
それから3ヶ月、毎日子どもたちと繋がりました。全国から多くの声が寄せられ、公教育の在り方について深く考えさせられたのもこの時期です。
オンライン実践をきっかけに、オリジナルで創り上げてきた学級経営や授業方法もフィーチャーされるようになりました。その1つが「自由進度学習」です。幸運なことに、本も出版させていただきました。

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そして、2021年4月。教員歴14年をもって、天職だった公立学校を退職しました。1年後に世田谷に、小さな理想の学校を作るためです。
誰もが学ぶことを喜びととらえ、比較や競争以外の方法でも幸せを感じられる世界を作る。人間は凄い、を取り戻す。老若男女、障害なんて関係なく、フラットに学び合える世界。
夢物語のようですが、大真面目に信じています。校長として、周りの多くの力を借りながら、愚直にやっていきます。

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1つのシェアが、学校作りには大きな力となります。少しでも共感していただけるようでしたら、お力お貸しください!