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天職だった先生を辞めました。

14年間。楽しくて、大好きだった学校の先生を、辞めた。

同僚、保護者、設備。環境だって恵まれていたし、子どもたちとも強い信頼関係を築けていた。自信だってある。周りには感謝しかない。
それでも私は、公立学校の教員を辞める決断をした。

公立学校では、毎日希望と絶望を両方味わってきた。「公立じゃあ無理」と言われていたことは、実は何でもできること。子どもは可能性に満ちていること。大人も変われること。そこには希望が溢れていた。

一方で、多くの絶望を味わった。一つ動くためには、多くのコストが必要なこと。すべてが揃わなければ、些細な変化も許されないこと。一つ変えるためには、他の九の手を諦めなければならないこと。そして、自分が動けば、それだけ身近な人が傷付くということ。

自分は、教育の世界が好きだ。

「教育が好き」と言い続けてきた。今も、その気持ちは少しも変わらない。好きはやがて、一つの夢になった。「理想の学びの場を、この目で見てみたい」ーーすべての人が、自分の望んだ場でのびのびと、学ぶ愉しさに浸れる空間。フルインクルージョン。いつからか、そんな学校を作りたいという夢をみるようになった。

この国には、辛い気持ちを背負った多くの子がいることを知った。私自身もまた、そんな子の一人だったことに、大人になって気付いた。気付いたからには、放置するわけにはいかない。額縁が曲がっていると感じてしまったら、直さずにはいられない。

学びの場は、もっと多様であるべきだ。人が多様であるなら、学びのカタチも多様である。それが選べる自由が、絶対必要条件。この国の公教育に、多様性を拡張する。そのためには、公教育の中の私には限界だった。

コロナウイルスによる一斉休校を機に、私の実践は全国で知ってもらえるようになった。できる限りの発信をし、多少の痛みには耐えた。その中で気付いたこと。それは、あまりにも忙しさと諦めに満ちた教育現場だ。

素敵な思いや力をもった先生はたくさんいる。それが、ちょっとした力で容易くねじ伏せられる現実。そもそも現場の教員は、自分の周り以外に「理想の教師像」をもっていない。ここからは推測だが、おそらく9割以上の先生が、自分の周り以外で有名な先生を3人と挙げられないだろう。私のことや実践なんて、市内の先生はほとんど知らないのが現実だ。労力と影響力のアンバランス。これ以上は私の心も身体も限界だった。では、どうする?諦める?

2022年4月。都内に、小さな理想の学校を作る。信頼できる仲間と、まだ見ぬ子どもたちと、共感し合える大人たちと。丁寧に、大胆に、愚直に、のびやかに。そして、そこで得られた姿を、必ず公教育に還元する。外から、中の子どもや大人たちをエンパワメントする。そのために、安定を捨てた。

一部でも共感してくれる人がいたら、是非一緒に作っていきたい。相変わらず、私一人の力は非力だ。でも、多くの人が手を取り合えば、世界は変わる。青くさくて失笑されるかもしれないけれど、本気でそう思っている。

失敗を恐れない。挑戦することに意味がある。昨日の自分を超える。軽やかに、柔軟に、そして何より楽しみながら。これまで子どもたちに伝え続けてきたことを、自分ができなきゃ全部嘘になる。私は諦めるのが苦手な人間だ。だから、諦めない。

1つのシェアが、学校作りには大きな力となります。少しでも共感していただけるようでしたら、お力お貸しください!