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東日本大震災の人事を振り返り、コロナ禍のレジリエンスを考える

マイクロ人事部長の髙橋実です。
昨日は、あの出来事から9年。
当時まだ駆け出し人事だった僕は(いや、今でもか)某大手メーカー系カード会社の東京本社の総務人事マネージャーでした。

家の書籍の整理をしていたら、こんなレポートが出てきました。
少し、当時の有事対応を、振り返ってみたいと思います。


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なお、後日、この時の対応を、人事ジャーナリストの溝上憲文さんに匿名で取材いただいています。もしご興味があれば、こちらもどうぞ。(「寺岡」って名前になってます)

2011年3月11日 午後2時46分

当時僕は、社員約600人が在席する某メーカー系金融会社の東京本社の総務人事マネージャー。東陽町という都心からはちょっと離れた地でしたが、某有名ホテルがあり地元では唯一の高層ビル。そのビルの13階から15階までの3フロアにオフィスが入っていました。

まさにこの時は、オフィスに在席。
突然の衝撃的な揺れが襲い、無我夢中で近くのデスクの下に。僕はそこそこガタイが大きいのですが、そんな僕も左右に振り回されるほどの人生で未経験の揺れ。本当に、死ぬかと思った、そんな出来事でした。

なんとか揺れが収まったと感じて、まず6人のグループメンバーに声をかけます。「大丈夫か?」。良かった。とりあえずみんな無事です。

「ほかの社員は大丈夫か?」
もう、本能的というか直感的にそう思い、そこから、走って各フロアを回ります。もちろんエレベーターは停止、3フロア全部を見渡し、幸いにも社員にケガ人はおらず、オフィスフロアのダメージも少ない。

でも、15階の窓から見た景色で、言葉を失くしました。

まさに、この光景が目に飛び込んできました。東京が一望できるような景観だったのですが、少なくとも2か所以上で火の手があがり、晴れていたはずの空は異様に煙っている。想像を絶する、まるで映画を見ているかのような光景が、そこに広がっていました。

「この世の終わりかもしれない」

社員のオフィス待機と食料の調達

とにかく、この事態の中で、このオフィスの意思統一を図らねばならない。在席していた各部署の上長を集め、16:00に会議を開催。少ない状況の中で決めたことは、

①社員の安全確保のため、落ち着くまでオフィスで待機(帰らせない)
②社員用の備蓄食料の確保と、不足分の調達
③事業継続のため、当面隣接ホテルの数室確保

とにかく、まず食料の確保。幸いにもオフィスビル下に、サミットストアがあります。でも、エレベーターは停止中。各オフィスを回って、

「若手社員のメンバーは東京総務人事に集合して!」

15人ほどのメンバーが、集まってくれました。

「これから食料を調達するので手伝ってほしい。エレベーターが止まっているので、1Fのサミットストアまで階段で行き来することになるけれど、協力してくれ」

15人に買い物かごを渡し「とにかくありったけの食料を買って」。一体金額がどの程度になるのかなんて頭が回らなかったのですが、800食のカップラーメンを確保。よく考えれば、総額でも15万円程度。たいしたことはありません。非常用備蓄食材を含めると、2日分の全社員にいきわたる食糧は、確保できました(この後、18:00を超えたら、サミットストアの食料がすべて売り切れたと聞きました)。

Twitterと人事ネットワークの情報による帰宅指示

少しずつ情報が入ってくると、交通機関が壊滅状態になってしまったことを報道しています。周辺の道路は、夜に入り大渋滞。安否確認をしているも、車で外出していた社員の一人は、横浜から戻ってくるのに8時間も要します。

一旦社員を安全のためオフィス待機として、ありったけの寝袋や段ボール、リフレッシュルームの開放などを行い、社員を待機させるも、不安になった家族が会社に来て「連れて帰る!」と押し問答になったり。

一番心配したのは、麻痺している交通機関網の中に社員を飛び込ませる状態は安全のためできない。そのため「どのタイミングで帰宅可能指示を出すか」の1点に絞ったのですが、しかしTV・ラジオでは正確な情報が掴めない。

そこでふと見たTwitter。そこには、各電車や駅の様々な情報が細かくアップされている。これは活用できました。Twitterの情報を見ながら、各方面の交通機関の情報を得て、問題なさそうな方面から順次帰宅指示を出していきます。

もう一つ、活用できたのは、他社人事メンバーとのメーリングリスト(当時交流会等を通して100名程度が参加していた)を作っていたことです。ここで、各社の帰宅指示の情報もつかみつつ、円滑な対応が可能になりました。

放射能問題、そして計画停電、水の確保

じつは、この当日より頭を悩ませたのが、福島原発の崩壊による放射能汚染と、そこからの計画停電でした。(放射能問題からくる水の確保ができない問題も相当頭を悩ませました)

東京のオフィスはオペレーション機能(クレジットカードやローンの問い合わせ、審査、債権管理など)があったため、事業継続のためには部署を止めてはいけない。そのため、事業継続に必要な業務の優先順位と、最低業務人数の洗い出しを行い、また、600名の社員の経験値の棚卸と住所の確認(出社可能な社員の洗い出し)、それにより緊急時シフトを組みなおし、場合によっては隣接ホテルへの宿泊をお願いして、業務継続を図りました(結局隣接ホテルの30室を3か月程度確保し続けることになり、僕も1か月半ほどホテルに滞在することになります)。

とにかく、世の中の情報が刻々と変化していく状況の中で、いかにして情報をとり、対応策を練っていくか。社内では、なかなか情報が取れなかったので、活用できたのは他社人事のネットワークでした。

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未曽有の対応は、誰も正解が分かりません。もちろん、社内でも。
そのような時に、間違いなく有効なのは、こうして企業の垣根を越えて情報共有をして、打ち手を考えていくことではないか、僕はそう思っています。

人事というのは、社内でも孤独な仕事です。
「自社の情報を他社に漏らしてはいけないのではないか」もちろん秘匿義務や色々な企業のスタンスもあるでしょう。

今回も、この新型コロナウイルスについての対応を、まさにこの人事のネットワークを通じて、議論が深まっています(東日本大震災の時には100名だったネットワークは、今では260名を超えています)。平常時はともかく、誰も経験したことのない未曽有の事態をどう打開していくか、そのような有事の時には、壁を取っ払っても、最後に笑えればいいのではないでしょうか。

新型コロナウイルスの対応と、これからの未来

3/12の今日、遅まきながらWHOが「世界的なパンデミック」を宣言しました。イタリアでは、全土で店舗閉鎖に追い込まれています。

今回の有事が、東日本大震災の時と異なるのは、

①地域的な有事ではなく、全世界的に広がっていること
②「見えないもの」と戦わなければならないこと

この2つだと思います。
今人事の人たちは、目の前の毎日刻々と変わる状況への対応と、これから起こる未来への出来事に対する対応で、精一杯頑張っていると思います。
(もちろん僕もそうです)

ただ、振り返ってみてください。

バブル崩壊の時にも、リーマンショックの時にも、そして、東日本大震災の時にも、日本は、強いレジリエンスをもって、復活してきたではないですか。

逆に、今この「全国的な春休み的期間」(もちろん大変な人はたくさんいると思います)。制約条件やこの状況を憂うのではなく、こうならないためにどうするべきかを考え、実行していくとてもいいチャンスだと思います。
(テレワークなんか、社内で反対派がいてなかなか進まなかったことが、大手を振って進められる環境になった)

これまでやってきたことでない武器を作るチャンスです。そのためにはこれまでの枠組みにとらわれず「とりあえずやってみようか」という姿勢と、そして実行が必要です。

この虹は、間違いなく、僕らの未来は必ず復活し、明るい未来を取り戻す、そう神様が言ってくれているような気がします(東日本大震災の時の桜もそうでした。僕は信仰はないですが、見えないパワーを信じています)。

みんなで手を合わせて、新たな未来を切り開きましょう。

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