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重度の話せない病

最愛の彼がいた期間、私が無性に感じていたことは
「彼とたくさん言葉を交わしたいのに話せない」だった。
共に過ごす限られた時間。
私たちは、、、本を読んでいた。。。
いや、それ以外にも美術館や映画鑑賞、観劇したり食事したりして、感想を話したり会話が全くなかった訳ではなかった。
でも、私は彼とやりたかったことは“会話”だったのに、それがほとんどできないという本人的には壮大な悩みを抱えていた。
(ちなみに、言葉少なめの彼は、そこに不足感は感じていなかったそう。)


私は小さい頃から物静かであまりしゃべらないし「これがしたい」がない人だった。
人と合わせているのが楽だし、平和とも思っていて。
だから、自分の意思を話すことが少なかったと思う。
思い返せば、家族間でも会話が必要最低限。

と言っても、友人も恋人もいたし、普通には話しているんだろう。
会社でも仕事の話だったらなんとかできる。
20代は必要なことだけしか話さなかったけど、30代になって話せる人とは雑談もできるようになった。
そう、そんなレベル。
私の話したいレベルは【もっと!!!】なのだ。


具体的にみてみると、「私はこう思う」をオンタイムでその場で言葉にして発することが大の苦手。
じっくり考えて後から「これはこう思ったよ」って伝えることはできる。
(仕事では社員からの相談を受けてその場でコメントもできるのだけど、それ以外の場面ではできなくなる、という性能の低さよ涙)


でもね、私はもっと人と話したいの!
オンタイムで温度を感じながら言葉のやりとりをするから色んな気づきがあったり楽しめたりすると思ってるし、私はそれがやりたい。
発したい言葉たちがアラフォー女の中にたくさん溜まって、出ていきたいのに出られなくて、当の本人は苦しささえ感じている。


日々、仕事家事、育児とか、“やらなければならないこと”が主軸になって生きてしまっているから、「私はこう思う」と感じて言葉にする機会を私はますます失ってる。

「私はこう思う」
自分の感じることをどんどん話していけるように、私はまず書くことで言葉を発することの苦手克服をする。


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