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日記 3/10

「いらないもの」を使った展示をしている。

友達の家から吉祥寺へ行く。
スープをセブンイレブンで買ってギャラリーで食べた。
朝は人が来なかったので寝ていた。

展示をしているギャラリーは駅からまっすぐの道の住宅街にあって、自転車がよく通る。時間がゆっくりに感じる。

昼ごろ、おばあさんが「なんのお店ですか?」と言って入ってくる。

かなり長い時間、話をした後、私のかけてあるダンボールの作品を見て、「寂寥感がある」と言った。「せきりょうかん」、あまり聞かない言葉だった。この作品は、搬入当日まで何も描くことができなかったダンボールの破片に、日記のようにその場でドローイング を足していた物だ。
最近感じているものが作品に出ていたような気がして嬉しくなった。「寂寥」はずっと自分のエネルギーだと思う

おばあさんとお別れした後、芸術家っぽい男の人と頭の良さそうな女の人の夫婦が訪ねてきた。
男の人の鞄の中から、スーパーで買った春菊が飛び出ていて、肉のパックが覗いていた。夕飯は鍋だろうか。

男の人が、展示の一つのナショナルカセットテープを見つめていたので「実は壊れていて、録音を流したかったんですけど、できないんです。ただの置物です。」と伝えると、「テープが切れてる状態で回っているのが面白い。」と言ってくれた。使えない古いものが回りつづけているということに、何か意味を見出せそうではある。

もう一つ、壊れかけのカセットテープを自由に流せる展示をしている。これはメルカリ で買った、素知らぬ誰かのもので、「誰かのいらない物を再生する」というコンセプト。でも、ただ音楽を、ギャラリーで流したかっただけの欲望の気持ちも多少ある。
流してみないと何が入っているかわからないし、これを素知らぬ誰かが車でかけていたかもしれない、と考えると面白いのではと思った。途中で流れてきた、大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」を気に入った。若い夫婦とさっきのおばあさんがすごく喜んでくれた。

友達が、夕方にモンスターを裏で飲んでいた。限界を感じた。すごく絵で悩んでいる。私も話を聞きながらいろいろ悩む。

なにやら物音がしたと思えば、ギターと、ドラムのペダルを持った友達2人が来た。
この友達は、作品を全部じっくり見てくれる。長く見られるのに耐えられるものを作らなくてはいけないと思い恥ずかしかった。
この展示を見るために吉祥寺まで来て、バンド練をしていたようで、ありがたい限りだった

素知らぬ人、友達、一回しか会っていないのにまた会いに来てくれた人、いろいろ充実していた。

今日で在廊は終わりで、寂しくもある。ブレーカーを落としてドアを閉めたらヤモリが隣の窓を登っていた。雨が降るのかもしれない


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