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愛しい余韻と安心感:日々のあれこれ

どうしようもなく感想を呟きたくなる瞬間がある。映画であったり、観劇であったり。
つまりは人間の作るコンテンツに圧倒されたときである。

そして私は今日、ライブを見てきた。聴いてきた、かもしれない。

そうして浴びた感情を、某SNSに書いてもいいけれどなかなかの長文になるだろう。
ネタバレもどうしようかと思っていたところに「そうだnoteがあるじゃない」となったので、ここに感情のみを残して置こうと思う。

どこかの誰かを推しているけれど、常にぼっちな私自身のための備忘録のようなもの。それでもよければお付き合いください。

きっかけはヒーロー

こどもと言ってもおそらくティーンだった頃の私が出会った。
普段親が聞いているようなもので、ちょっと違うメロディに惹かれていたけれど、田舎暮らしの私の近くには取り扱う場所がなく。

ちょうどインターネットが普及し始めていたころだったので、とにかく情報を集めた。当時のパケット代を恐る恐る気にしながら、公式サイトまで探すというなんと不毛なことをしたと自分でも思う。

そこで見付けたものを、某通販サイトで購入した。
知らない曲ばかりだったけれど、私はすごく居心地のよさを感じていた。
みんな知らないのか、と思っていた矢先、有線で聞いた声にはっとした。

「あれ、きっと、たぶん」

当時の遊びはカラオケばかり。受験勉強の合間にみんなで歌っているときに、各々が誰も知らない曲を入れるのがある意味普通で。
そんなレパートリーのひとつにもなっていた。

生演奏を聴く

実家から出て一人暮らしに変わり、私はいままでできなかったあれやこれやをするようになった。俗に言うモラトリアムである。

抑圧を「これが普通」とは思っていなかったが、実感があったのはずいぶん先のこと。一番気楽だったのは、おそらく門限のない生活になった事だったと思う。
おかげで勉強には苦労したがそれは割愛しておく。

十数年前の同じ時期、大きく見れば同じエリアで、初めてのライブに参加した。怖すぎて友人を誘って、学生にしては安くないチケット代を払い、恐る恐るライブハウスに入った。

最初の感想は「大人がいっぱいいる」だ。
その感想は今でも変わらない。自分より少し上の世代の方が多いのだろう。

ライブ最中のことは、実はほとんど覚えていない。セトリもおそらく、アルバム曲をひっさげたものだったから、だいたいそれ通りのものだったのだと思う。

正直、CDと同じかそれ以上に、好きだった。
いろんな感想を探しては鍵アカウントでいいねをした。そうだよねそこがいいよね、そんなこともあったね、などと思いながら、またCDを聴いていた。
あの瞬間のライブバージョンの音源がほしいと思ったけれど、当然そんなものはなく。当時一緒に行った友人にひたすら「すごかった」「よかった」というひどく語彙力のない感想を他愛なく話していたように思う。

それから、だいたい多い年では2、3回、行けない年はまったく、という感じでおそらく平均を取れば年1回を割るくらいの参加率で。

最初は誰かと行く前提でチケットを取ることもあったけれど、無理を言って誘うのもどんどんしんどくなり、結局一人で行って、消化して、帰る。
それだけのことが、ルーティン化されている。
ある意味自分の心を整えるために行っているようなものだった。

その数時間だけは、その音に、声に、歓声に集中できる。
ほかの意識はほぼない。
しあわせな空間だと、思った。

あれから、それから

最初のライブに行ってから、上の桁が変わった。干支も一周したことだろう。

客席をぼんやり見ていると、なんとなく覚えのある方もいた。みたこともないと思っている人もいる。きっと周りにいる方々も、すべて同じ人たちで構成されているわけではない。それぞれ変わっているのだろう。が、それまでだ。

同窓会のように、あれこれ話している方々もいた。これまで、ちょっとうらやましいなとか思っていたし、私もほかの観劇などの場ではそうしていたけれど、いつしか控えめになった。

私は、私のために現地に行く。

特に、彼らの演奏を聴くことに関しては、私自身の感想を、心の動きを自分だけが浴びたいのだと思う。そしてこれからも、大事にしたいものについては変わらないのだと思う。

話せと言われれば話すだろうし、そこは立て板に水でガンガンに喋る。根はやはりオタク気質である。ゆえに、彼らを勧めることはあるだろう。

だが、行くなら自分でチケットを取ってくれと言うだろう。きっとそれくらい、私自身にとって大事な場所なんだと思う。
もちろん、客席を埋めたいとは思うけれど、それができるような人生を今のところ送る予定はない。

忘れた頃に「あれ、よかったよね」と笑えるくらいの距離感で、いられる友人に出会えるだろうか。今日が初めて、という方もいた。大半はリピーター。でも、初めてのライブはかけがえのないものだろう。

流行病もなければ、とは思うけれど、だからこそこうして足を運べる貴重さも感じた。

ステージから流れるスポットライトの流れた先、私は今日も、立ち上がって手を叩き、振り、そうして彼らの声を一身に浴びた。

また会える日は来るのだろう。またの日を、互いに健康で、いつかのように声を枯らして笑い合いたいと願えるくらいには、私も成長できたのだろうと、そう願っている。

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