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私の内側にあるもの:星と向き合うわたし

年末にあたり、直近の自分に対する検証のような、そうでないような記事です。西洋占星術勉強中の身なので、あくまで参考程度に思っていただければ幸いです。

自分の星々と向き合う

ただいま噂の水星逆行期間。自分のネイタルチャートではどうやら水星が逆行しているらしい。
もしかすると自分の言語化のエンジンがかかる期間が、人よりもちょっと短いのかもしれないなと最近思い始めているところです。

というのも、今年に入って「自分が水星逆行期間の生まれなのでは」と自覚してから、「自分の準備がうまく回らないのでは」と思うよりも「自分はするっといくけど人はそうではないのかもしれない」という思い込みが強くなったから、というのがあります。

ええ。思い込みです。

なんというか、例えば締め切りに自分だけ遅れる可能性があると思うとめちゃくちゃに慌てるのですが、人が遅れるかもしれないと思って準備をするとなると、非常に、やりがいが出るというか。
自分の問題を棚上げしているというか。

そういう心持ちに最近なってきたように、思うのです。

水星にも、部屋の汚さにも、向き合う

これは単純に「絶対部屋のなかにあるはずなのに、なぜだかみつからない」アイテムがあり、今週に入ってからえいやさ、とやっているのですがなかなか見つからない。

見つからないから、片付ける。

かたづけると、見たくないものが、見えてくる。
自分の過去、好きだったけれど今は好きでは無いものとか。
過去、離れたひとたちと作り上げたテンションの遺物とか。

過去を振り返るつもりはなかったけれど、自分の中になにがしか残り続けているものだと理解はしているけれど、どうしても、納得ができないことが多々あり。

まあ、手放すしかないのだろうなと、思い、今日もゴミ袋に無くした愛を詰め込んでいます。

そうしているうちに、触っていない場所からふらっと見つけたりするもんだから、過去の自分は信用ならんなあとは思います。
けれどそこに置いた理由も、しばらく使っていなかった理由もだいたいわかったので、そういうタイミングだったのだろうと、個人的には思って居ます。そのアイテムの使用再開もまた、この逆行期間というのが面白いなあと思っています。

というわけで、どっかに行きかけていたアイテムはログ用のノートでした。
この話はまた気が向いたときに。

火星と向き合う

星の話の二つ目。
先日こちらの講座をオンラインで受講しました。

自分は火星かに座なのですが、なかなかうまく使えていないのが現状だなと思っているところ。おそらくこれは、自分の中で「そういうキャラクタである自分がいや」だというのが理由なのだと思います。かに座にいい思い出がないからかもしれない。そういうレベルの人間です。

なんとなく、ですが、一対一の人間関係ではなくなるから、だと思います。

一対多、である自分が苦手です。イチになりたくない自分。刃を向けられたくない自分。

直面する、相対するものから逃げたい、自分。

そこにある自分との戦いを避けていたのだなぁと思いました。

講座を受けて、自分も、小さいながらかにのハサミを持っているのだったら、必要なときに、こう、ぷすっとできるように準備するべきだったのだろうと思いました。

これはどこまで、なのですが、完全に影響されて、唇のケア方法を変えて口紅を塗るようにしてみました。いつも塗るとぺりぺりになってしまうので、減りも遅く、だらだら使ってしまうのが自分でした。
が、今回は強めの色の新品を買って、ある程度の期間が過ぎたら捨ててしまうという強い意志を持って、試してみようと思った次第です。

これで状態が保てるようだったら、すきなメーカーの同系色をタッチアップしにいけたら、と思っている自分がいます。

自分自身の手入れについて、諸般の事情でおざなりになってはいたのですが、来年に向けての土台作りの一環としては必要なことだったのだと思います。
他人に外見的にどう見られるか、って雑にしていたらしている分、見えてくるのだろうと思うので。あとは単純に、過去の自分を見て「あれ、こんなところが今と違うのなんでだっけ」と体重の記録なんぞを見て思うわけだったりします。

変わったこと、変わらなかったことを理解するのはとても大事だなと、改めて思います。

金星と向き合う

星の話の三つ目。

いわゆる金星的な、女性的な要素って何があるのだろうとぼんやり考えています。タロットの女帝、とは思いますが思い当たるかと言われるとまあそんなことはない。

仕事関係ではいろんなことがありつつも、ひどすぎることはないのでありがたい限りですが、こと私事になるとご縁があるようなないような、な人間なのです。ゆえに、キラキラの中にいる人の周りにいても、それがどう作用しているのか自覚的ではない、というのがあります。

金星が強いといわれるハウスやサインにあるわけではないので、果たしてこれはいわゆる、キラキラになれているのかいないのか、という問題がありまして。

最近知ったのですが、私自身、どうやら「推しのことをしゃべくっているときに一番生き生きしている」らしいのです。
いやみんなそうだろ、とは思うのですが、もしかしてこういう空気が金星的なきゃいきゃいだったのか、とふと気付いたところなので、今回合わせてメモをしようとした次第です。

いわゆる金星の年齢域のときはどうしていたかといえば、魂こと両親から刻まれしオタク魂が開花したころだったと思います。だれそれがかっこいい、の物心がついたときだと思います。

人間的な推しを見つけたのもこの頃。未だにぶれずに好きです。
きっかけはいろいろありますが、本当に、私にはないものをがつんと表しているひとだ、すげー! とピュアな気持ちで見ていました。

当時はテレビ画面と雑誌が頼りで、それに熱中していたことを今でも覚えています。

フッ軽の源泉はここにあり、と思います。
とにかく知りたい、知って理解して満足。ハッピーではあったのですが、いわゆる検証的な愛だったように思います。
自分の仮定は正しいのか。自分にとっての正解はなにか。
それを知りたくて知りたくて、たまらなかったように思います。

結果、リアルに生きている人間はひたすら追いかけられてしまうので、いわゆる画面の向こうにいなくなってしまうという区切りを持って「私はこれからどうしていけば……」な路頭に迷うことになるのですが、これらも結局書籍等で残滓があればそれをよすがに生き続けることができるのだと、今なら理解できます。

推しのテキスト(と言われる書籍化されたもの)があるからこそ、ここに戻れるという安心感があったのだと思います。

だから、いろんなところで勉強して、それでもやっぱり、この回答が得られる場所はここしかないんだと、安心して戦えるんだと思うように、今のところはなっています。

結局自分と向き合う

いろいろつらつら書いておりますが、あくまで2023年の自分が自分のことを俯瞰してみたときに見えてきたものです。来年になればがらっと見方が変わるかもしれないし、ここでのんべんだらりと書いている場合ではなくなっているかもしれない。

それでも好きなものの根っこは変わらないんだなと、自分が満足してしまったので、今回このnoteにまとめることができたように思います。

私自身は、何の気なしに勉強するのが楽しい人。
これから先も、足跡を残し続けていけたら、と思っています。同じようにとはいきませんが、そんな自分の何の気なしの気楽さを少しでもシェアできる方がいれば嬉しいなと、個人的には思います。

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